

彼女は、夫も子供もある身ながらルイ15世の愛人になりましたが、このことは果たして社会的に許されることだったのでしょうか?
当時のフランスにおける恋愛に対する風潮は、現代とかなりの違いがあったようです。
両家に生まれた子女は、幼い頃より修道院での寄宿生活をおくり礼儀作法を学びます。その後、親の決めた相手へと無条件に嫁ぎますが、結婚した後は夫そして妻ともにかなり自由に振舞うことができました。
恋愛に関しても、単なる優雅な社交上の遊びとして、さして咎められることはありませんでした。もちろん相手に対して嫉妬や悲しみに心乱れることは夫婦の感情として当然ですが、それを表立って表すことは恥ずべき行為とみなされていた為、表面をつくろい感情を押し込めなければなりません。
優雅に生きるとは、実に苦しくつらいことなのかもしれませんね。
しかし、このように幼い頃より締め付けられていた女性は、結婚をして初めて自由を手に入れることができるのです。
このような時代ですから、王の公式な愛人になることはフランスのファーストレディとして最高の夢の実現だったのです。
選ばれた女性は、華やかなベルサイユ宮殿に迎えられ、高価な宝石やドレスに身を包み、自分だけでなく家族や親戚縁者まで高い位を授けられることになります。
ポンパドゥール夫人が王に見初められたことは、夫であるルノルマン・デディオールの複雑な気持ちは別として、彼女の一族の願いでもあったのです。

ポンパドゥール様式のことを“ア・ラ・ポンパドゥール”といいます。
“良き趣味の代表”とされていた彼女は、数々の流行を生み出しました。
それらは、小さな袋状のバックやパステル調の花柄のタフタ地、四角くくりこんだ胸元をリボンやフリルレースで飾るなどの服飾のほかに、小さめの家具や漆器、金銀細工にまでおよびます。
また、ロココの時代は“香水の時代”ともいわれ、ベルサイユ宮が「匂いの宮廷」と称されたように香りに満ちていました。
この頃に香水の専門店が登場していますが、人々の愛した香りはムスクやアンバーグリスといった動物性の官能的なものから、薔薇やスミレ・ヒヤシンス・水仙といった優しい植物性のナチュラルな香りへと変化しています。
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