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仄暗さの中の美しさ『陰翳礼讃』

陰翳のこと・・・

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎著 1933年(昭和8年)より

 この文章を読んで、はっと思われる方も多いのではないでしょうか。
 幼い頃から明るいことこそ進歩的な暮らしとして、蛍光灯の白い照明に慣らされてきたものにとって、あのピカピカ光る金彩は品よく映らず、ときに成金趣味的にさえ感じられたものでした。
 谷崎氏がこの「陰翳礼讃」を書いた昭和8年当時、まだ蛍光灯は発明されておらずガス灯や白熱灯電球の時代でしたので、想像するに今とは比べものにならないほど暗かったことでしょう。 しかし、彼はそれさえも明るいと力説しているのです。

「狩野派永徳筆 唐獅子図」宮内庁三の丸尚蔵館
 室町から江戸時代にかけて信長・秀吉・家康と政権がうつろう中、築かれた安土城や大阪城・江戸城などの障壁画には、狩野派の絵師による豪華絢爛な金箔絵が飾られましたが、それらは単に権力を誇示するためだけのものでなかったのです。
 ひさしに囲まれた薄暗い日本建築の室内は、障子という和紙を通した柔らかい光でつつまれていました。
 日暮れと共に浮かび上がる月明かり、揺らめく蝋燭や行灯のともし火、そうした限られた明かりのもとで見る金の襖絵は、鈍い光を発して闇の中に浮かび上がり何物にも変えがたい荘厳な空気をかもし出したことでしょう。

 黄金という色彩の魔力を知るには、あの光が不可欠だったのです。
 光と影の陰翳によって生まれる幻想的な世界に、権力者達は魅了され酔いしれたのでしょう。

 さらに続く次の一文が、また実に印象的でした。

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎著 1933年(昭和8年)より

 近代化されていくことを拒絶し、日本的な美の本質を説いた谷崎潤一郎にとって、女性に対する美のありようもまた“陰翳”が生み出すものでした。

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎著 1933年(昭和8年)より

と、書いています。
 日本独特の化粧法として“お歯黒・鉄漿(おはぐろ)”というものが、かつてありました。
 その起源や意味合いは、はっきりとはわかっていませんが、縄文時代の遺跡からも使われていた痕跡が見られ、古代中国をはじめとしたアジア諸国の歴史に登場してきます。

 日本では平安時代ごろから習慣となり、女性だけでなく貴族の男性や武士・寺院の稚児までがお歯黒を行うようになっていきました。
 現代では、白く健康的に輝く歯が美しいとされていますが、日本にはかつて、歯が黒いことを何よりも美しいとする美意識が存在していたのです。
 江戸時代に入ると男性のお歯黒の習慣はなくなりましたが、既婚女性のたしなみのかたちとして残されていきました。
 江戸の女性は結婚することでお歯黒をし、子供を生むことで眉をそる習わしをもち、それが女性としての貞淑の証でもありましたが、人妻のそうした姿はなんとも色っぽく感じられたといわれます。
 しかし、明治にはいって鎖国が解かれ、西洋の技術や習慣を積極的に取り入れようという方針の中、来日した外国人の目にはお歯黒がじつに不気味にそして奇妙に映りました。

 そこで政府は、明治3年にお歯黒と眉そりの禁止令を出すにいたります。
 このような過程を経て、皇室から庶民へと少しずつお歯黒の習慣は姿を消 していったのでした。

 では、なぜ歯を黒く染める化粧法が日本人の感性を刺激したのでしょうか。
 そこには、やはり陰翳によって生み出される独特の美意識が働いていたのかもしれません。

 谷崎の随筆「恋愛および色情」の中に、このようなことが書かれています。

『陰翳礼讃』谷崎潤一郎著 1933年(昭和8年)より

「源氏物語絵巻」宿木二(部分)
 平安時代に描かれた「源氏物語」には、主人公である光源氏と姫君たちの恋の場面がたくさん登場します。
 当時の恋の始まりの多くは、うわさを聞くこと、そして垣間見ることでした。
 お付の女房に守られ屋敷の奥深くにひっそりと潜むように暮らしていた姫君たちは、人前に顔をさらすことなどありません。
 ゆえに、ふとした女性の評判を耳にすることで、男達の想像は大きく広がっていきました。
 屋敷をのぞき見る公達は、姫君の顔を覆う扇の端からチラッとのぞく口元や、御簾の隅より流れ出る黒髪を見るだけで、心は弾みドキドキとおどったことでしょう。

 では平安時代の美しい女性とは、どのような方をさすのでしょうか。
 源氏絵に“引き目鉤鼻”で描かれる女性の顔を考察すると、ふっくらと下ぶくれ気味の面差しに、細く引っかいた象嵌のような目もと、中央には小鼻の小さい鼻と小さな口がチョンとあるのが理想とされていたようです。
 つまり、あまり個性のない表情のとぼしい顔であればあるほど女性らしく美しいとされたのかもしれません。
 なぜならば、そうした面差しであるほど、見る側がいかようにも想像力を働かせて、好きなように理想の女性像を作り上げることができるからです。
 では、昼間でも薄暗い当時の屋敷の中で、歯を黒く染めるとどのように見えるのでしょう。
 限られた光の中で暗さと同調するように闇へと消えた歯によって、唇はさらに小さく、そしてなまめかしく感じられたのではないでしょうか。
 白粉によって塗られた真白い顔を左右より覆うぬばたま色の黒髪、さらにお歯黒を施し赤い唇だけの存在となった口元、こうした暗がりで見る白黒赤のコントラストは、単純ゆえに強調され女性の存在をいっそう神秘的なものへと変えていったのかもしれません。

 源氏物語の「末摘花の巻」には、このようなお話しが綴られています。
 光源氏は、親をなくし荒れ果てた屋敷に暮らす貴族の姫君“末摘花”のうわさを聞き、大変興味を抱きます。
 そして、姫君の前途を心配する女房の手引きによって、二人は一夜の契りを結ぶのですが、彼女のじつに豊かで艶やかな黒髪や、衣から漂う極品の薫物の香りは、源氏の描いた深窓の姫君という確信をさらに強くし、彼は大いに満足するのでした。
 しかし、数回の契りの後、差し込んだ光の下で始めて彼女の顔を見た源氏は、その鼻があまりに赤く馬面であったことに驚きます。
 急激に姫君への熱い心は萎えていくのですが、末摘花の人を疑わない素直な性格と、窮する彼女の生活を見捨てることはできず一生面倒をみることになるのでした・・・。

 このように、当時は言葉をかわすことも顔を見ることもなく、相手を好きになり契りをむすぶことが度々あったようです。
 谷崎の文章にあるように、女性とは、抱き寄せたときの柔らかさや髪や肌の手ざわり、そして彼女を包み込むように漂う薫物の香りがすべてだったのではないでしょうか。
 女性の存在とは、美しく輝く不滅の月のように、ただただ美しくそこにあることが求められていたのかもしれません。
 そう思うと、お歯黒とは、意思のある女性の存在を消すために考えられた究極の美の表現だったのです。

 本当の闇というものを、貴方は知っているでしょうか。

「古今和歌集・紀貫之」

 “梅の花が美しく咲く春の夜、名前からして暗いくらぶ山を闇夜に越えても、その香りのたかさで梅が咲いているのがわかります”

 紀貫之のこの歌から、当時の闇夜の様子がわかるでしょう。
 梅の花の存在を、その姿ではなく漂いくる香りを通してはじめて知るのです。

 人を食う鬼や生霊がうごめく真っ暗な夜道を進む人々は、月やかがり火の明かりを頼りに、五感のすべてを集中させて足を進め、恋しい女性の元へと辿り付きました。
 真の闇の中で“女の気配”を抱きしめ、夜が明けきらぬ暗いうちに別れて帰らなければなりません。それこそ、闇の中での出来事は”夢の如し“だったことでしょう・・・。

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