これらの薫物は、使用する用途や季節、様々な心の心情にあわせ用いられました。物語の中では、具体的な描写で場面を表現するだけでなく、実に効果的に香りを漂わせ、作者の言わんとしていることを伝えているのです。
源氏の娘である“明石の姫君”は、彼が須磨に流されているときに巡り会った女性“明石の御方”との間に生まれた女の子です。
源氏は、敵対勢力の姫君で、いずれ東宮妃になるはずだった右大臣の娘“朧月夜(おぼろつきよ)”と密通したことがばれ、みずから須磨に隠遁せざる得ない状況に追い込まれます。そうした失意の時代に知り合ったのが当地の“明石の御方”で、都に戻った後、産まれた子と共に彼女を呼び寄せるのでした。
彼は、自分の娘を高い地位の方へと嫁がせようと考えました。
それには、“明石の御方”よりも高貴な身分をもつ方の後立が必要なため、源氏は姫君の養育を“紫の上”に託することにします。
愛するわが子を手放さなければならない明石の御方、子を欲しいと願うも授からず他の女性との子を育てることになった紫の上。
双方にとり胸を痛める現実でしたが、姫君の愛らしいまなざしに紫の上の嫉妬もおさまり、やがて母となる喜びを感じるのでした。
その姫君が11歳をむかえ、東宮へ入内することが決まります。
薫物の調合を競うことになったのは“朝顔斎院(あさがおのさいいん)”と“紫の上”、“花散里”そして“明石の御方”などの4人の女性です。
はたして彼女達は、どの様な香りを作られたのでしょうか?
女同士の嫉妬に巻き込まれるのを避け、源氏の愛を拒み続けた“朝顔斎院”は、もっとも格の高い「黒方」を、じつに趣きある伝統的な香りに仕上げました。
“紫の上”は、張り切って3種の薫物を作り上げましたが、その「梅花」の香りは、彼女らしく華やかで若々しい、モダンなものでした。
すべてにおいて控えめな“花散里の御方”は、夏のしめやかなる香り「荷葉(かよう)」を調合されました。
そして最後に実母である“明石の御方”が処方されたのは、どの様な香りだったのでしょうか?
彼女は、あえて六種の薫物を作ることをせず、衣に焚きしめる“薫衣香(くのえこう)”を調合するのでした。
他の方々と競うことを避けたその行為には、自身が受領(地方官)の娘であるという身分を考えての遠慮の気持ちが表されており、彼女の賢さと奥ゆかしさが感じとれますね。
この競い合いの結果は、どれも優劣しかねるほどに優れたものであるとの蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)の判定で、和やかに終わりをむかえます。
それぞれの女性達の印象をしのばせる「薫物合わせ」となりました。
こうして姫君が入内した後、紫の上はこれ以後の後見人に明石の御方を立て、ふたたび実の母子が共に暮らす時が訪れるのです。
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