奈良時代に日本にもたらされた菊は、当初“不老長寿の薬草”として位置づけられてました。
中国では、漢の時代から薬種として“菊のお酒”を飲む習慣がありましたが、日本でも天武天皇の皇子が客に菊酒をふるまったとの記述がのこされています。
菊酒とは、菊の花と葉を穀物に混ぜて作られる霊酒で、長寿延命を願い、菊の花びらを浮かべるなどしてふるまわれました。
平安時代になると菊のお祭り「重陽の節句」はますます盛んになり、菊酒だけでなく、次のような風習もおこなわれました。
この日、5月の菖蒲の節句から御帳台(布で囲われた寝台)に吊るされていた薬玉(蓬の葉を菖蒲で包んだお飾りで邪気を祓う力を持つという)を下ろし、新しい“菊の薬玉”(菊とグミの実をいれたお飾り)に掛け替えるのです。
枯れ果てあせた菖蒲の香りから、澄み渡る空の秋の日にふさわしい、清涼な菊花の香りにつつまれ眠りについたのでしょう。
また、節句の前日の8日夕刻から、菊の花に真綿を被せておき、翌日、朝露の染み込んだ綿で肌を拭う“被綿(きせわた)”もおこなわれました。
菊の高貴な香りの染み込んだ露の霊力とともに、老いを消し去るという信仰があったのですね。
この式部の歌には、
“いただきました菊の露を、私は若やぐほどに袖に触れるとし、花の主である貴方様に千代の長寿をお譲りしましょう”
と、いう意味が込められています。