1778年イギリスに生まれたブランメルは、平民出身ながら一代で財を成した父親のおかげで、イートン・カレッジへ入学することができます。
名門の子弟が並み居る中、はやくもその服装に対する執着と洗練されたセンスは話題となっていくのでした。
続いて進学したオックスフォード大学時代、幸運にもイギリス皇太子の目にとまり卒業後、直属である近衛第十軽騎兵隊に入隊、さらに居並ぶ貴族の子弟をしりぞけ、皇太子の許婚者を出迎えるという大イベントで、付き添いの騎士に抜擢されます。
翌年には大尉になり順調に昇進していくブランメルですが、二十一歳の時、田舎の無粋な工業都市へと転任を命じられたことで近衛隊を辞め、ロンドンの華やかな社交界の中で“ダンディズムの始祖”としての伝説を築いていくことになるのです。
社交界の人々を熱狂させた彼の魅了とは、果たしてどのようなものだったのでしょうか?
ブランメルの容姿は、決して抜きん出てハンサムというわけではなく、また財力も上流階級の水準では、はるかに劣っていました。
当時の男性の服装は、女性と区別がつかないほどに派手な色彩を用い刺繍・レースなどの装飾がなされていました。
しかし、資産の乏しいブランメルの選択した服装は、青や黒の地味な色で整えられた控えめなものだったのです。
シルクハットに、乗馬に適したカットアウェイ・コート、半ズボンにドイツ風長靴、縞柄のシルクの靴下、さらに装飾品は細い時計のみ、という実にオーソドックスな服装術は、流行に左右されない模範的なスタイルといえます。
しかしながら、仕立ての良い身体にピッタリとフィットした服や爪の形まで描き出したかのような手袋、一点の汚れもなくピカピカに磨かれた靴、さらに彼がとりわけ情熱を注いだ部分が“ネック・クロス”でした。
ネクタイの前身ともいわれるこのネック・クロスとは、のり付けした大きく長い襟を折りたたみ、下あごで徐々に押さえつけて形つくる首もとのオシャレで、彼の創案した結び方を、伊達をきどる紳士たちが競って真似たといわれます。
やがて皇太子(後のジョージ4世)までが、みずからブランメルの家へとおもむき、彼に着付けの手ほどきを受けるまでなるのでした。
当時のイギリスでは、身だしなみに心砕くことが大変に重要なことだったのです。
王室御用達の仕立て屋メイヤーは、看板に王室の文字を掲げるよりも<ブランメル氏御用達>と記したがったといわれるほどに、彼の名声は英国だけでなくヨーロッパ中に浸透し、時の権力者や知識人をもしのぐ「ダンディズムの頂点」として人気を博していきます。