『香り花房・かおりはなふさ』では、日本の香りと室礼文化を研究しています。

香り花房 ー『香りと室礼』文化研究所 ー
恋しい匂い

蝉の訶梨勒(かりろく)

蝉の訶梨勒(かりろく)


カリロクの実/仏典には、一切の万病に効くとしるされている 訶梨勒(かりろく)とは、中国・インドシナ・マレー半島に産するシクンシ科の落葉高木樹で、その果実は褐色の卵型をしており、薬用として大変に有効であるほか、その香りの高さから香料としても用いられました。
 室町時代には、象牙や銅・石などでこの実をかたどり、美しい白緞子や白綾の袋に入れ、緋色の組緒を結んで床柱や書院などに飾る風習が生まれます。
 こうした掛け香は、室内に香りを放つと共に、邪気を祓う魔除けの意味合いを含んでいました。
 現在では、茶道のお席などで見かけるほどですが、大変に趣きある“香りのかたち”のひとつでしょう。

高僧・鑑真和上

 日本の香り文化は、この人物の渡来により、急速に発展していくことになります。

鑑真和上(がんじんわじょう)
 彼は、隆盛を誇っていた8世紀の中国において、仏教だけでなく政治・文化・科学そして医学においても、大変に優れた知識人のひとりでした。
 国の繁栄をも左右するそうした貴重な人物を、唐の国では手放そうとしませんでしたが、鑑真は日本国へ仏教の戒律を伝えるという固い意思を貫き旅立つ決意をします。

 皇帝の意に背いての出航には、数々の苦難が待ち受けていました。
 度重なる役人の妨害、強風や荒波に貴重な経典は海に沈み、愛弟子の死ばかりか、潮風にさらされ続けた末、自らも視力を失う不幸を乗り越えて、754年とうとう日本にたどり着きます。
 志を抱いてから、なんと12年という歳月が流れていったのでした。

 彼のもたらした様々な物の中には、貴重な経典類だけでなく多くの香料や薬草が含まれていました。
 その積載目録の中に、“じゃ香”“沈香”“白檀”そして“訶梨勒(かりろく)”という文字の記載がみられます。
 これこそ当時、幻とまでいわれたカリロクの実なのでした。
 彼は盲目にして、あらゆる薬物を間違えることなく香りのみで言い当てたと伝えられています。

唐招提寺・鑑真和上坐像/来日より5年の月日を経て創建された唐招提寺には、戒壇が設置され、律学の根本道場として日本中の僧侶が集まり修行しました

 彼の創建した律宗の総本山・唐招提寺におさめられている「鑑真和上坐像」は、763年5月6日に結跏趺坐(けっかふざ)のまま入寂した高僧の死を悼み、弟子の忍基により製作されました。
静かに目を閉じ微動だにしない威厳をたたえたこの像は、ガッシリとたくましく彼の不屈の精神をかもし出し、見る者に感動を与えます。
命を掛けて日本へ趣いた彼の偉業は、日本の仏教ならず様々な分野において、多大なる発展を促すことになったのでした。

  鑑真和上の生きた唐代と時を同じく日本に伝わった正倉院の文様“天平花紋”の名物裂をもちいて「蝉の訶梨勒」を製作し、稀有の高僧へ捧げることと致しましょう。

1 2 3 香りの作品

Copyright (c) KAORI HANAFUSA All Rights Reserved.