『香り花房・かおりはなふさ』では、日本の香りと室礼文化を研究しています。

香り花房 ー『香りと室礼』文化研究所 ー
恋しい匂い
ブランメルの失落

 熱狂的に人々が彼を賛美した理由は、素晴らしいセンスだけでなく、ブランメルの生まれながらにしてそなわった性質にもありました。
 なんとも気だるげな物腰、自信に満ち見下したような態度、さらに彼の発する辛らつな言葉は、不思議な魅力となって社交界の人々に、畏敬の念を抱かせることにつながったのです。
 彼の名は招待客名簿のトップを飾り、彼の出席の有無が会そのものの成功を意味します。また、自分の意に沿った人物としか交流しなかったブランメルに挨拶されただけで、社交界の人々の虚栄心は満たされるのでした。
 皇太子との親交も変わらずに深いものでしたが、やがてある行いからその寵愛をなくすことになります。

ジョージ四世/衣服に膨大な費用を投じたという ある晩、皇太子主催の夜会に招待されたブランメルは、デザートの席でシャンパンがなくなったことに気付き、皇太子に向かって「ジョージ君、ベルを鳴らしたまえ」と召使を呼ぶベルをあごで指し示すのでした。
 素直にベルを鳴らした皇太子ですが、召使にむかい静かに「ブランメルさんの馬車をお呼びしなさい。」と彼の退去を命じます。

 この話の真偽のほどは、いまだ定かでありませんが、このころより、彼が宮廷への立ち入りを禁じられてしまったのは事実でした。
 こうした事件があった後でもまだ、ブランメルの人気は不動で、皇太子との決裂はかえって英雄的イメージを与えたといわれます。
 しかしながら彼の人生の歯車は、徐々に狂っていくのでした・・・。

 賭博の習慣が盛んだったこの時代、向こうみずな賭け事に投じられる額は常識を超え高額になっていきます。
 “マリー・ルイーズは、一年以内に再婚するだろう”“ナポレオンは、6週間以内に死ぬ”などの賭け事に興じた彼は、とうとう全財産を無くしてしまうのでした。

 破産した彼は、イギリスを去り、ドーヴァー海峡の対岸にあるフランスの都市カレーへと亡命します。
 当初は不自由ながらもヨーク公夫妻など彼を崇拝する人々の援助によって従来どおりの生活を維持でき、いまだイギリス社交界の話題の的であることには変わりありませんでした。
が、国王となったジョージ4世がカレーを訪れた時、王の歓迎晩餐会が開かれるも彼は出席せず、関係修復の機会を放棄してしまうのです。
 次第に貧しい亡命者となっていく彼を救うために、友人の好意からフランス・カーン市の領事官の職をあたえられ着任しますが、報告書に「カーン領事職は不要である」としたためた為に罷免されてしまいます。
 気まぐれであったのか、彼の流儀をつらぬいたからか、最後ともいえる救いの道を自ら断ち切り、ふたたびカレーへと戻るのでした。
 ほどなく借金のため投獄されたブランメルは、困窮の中かつての輝きを失しない、すり切れた衣服をまとった単なる頑固な老紳士となって、1840年3月30日、62歳の時、養老院で静かに息をひきとるのです。

※三つ揃いの背広を着たとき、チョッキの一番下のボタンは掛けない慣わしですが、これは皇太子時代のジョージ4世が列席の際、はずれているボタンに気付いたブランメルが、さりげなく自分のボタンをはずしたことに由来しているといわれます。
 このような優しい気遣いを後にも示していたならば、彼の寂しい終末は訪れなかったことでしょう。しかしながら、彼の貫き通した「こだわり」の美学が後世に残る伝説を生み出したのは事実なのです。
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