雪月花
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その27 「杜若(かきつばた)の結び文」

2014年 6月18日

 

今年は、菖蒲に縁の深い年なのでしょうか。

5月に行われた根津美術館でのお茶会では、

ちょうど年一回の尾形光琳 / 燕子花図屏風展示と重なり

素晴らしい作品を堪能できました。

『 燕子花図屏風 』左隻

尾形光琳 筆 /  18世紀 根津美術館蔵

 

6月には、国の重要文化財に指定されている姫路の永富家で

満開のあやめに包まれた茶会 ”あやめ会” に参加。

そしてお教室でも二点の杜若の作品を製作しました。

 

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一つ目の作品は「杜若の結び文」です。

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美しい色合いの薄絹で花びらを一枚ずつ縫い上げ

雅びなカキツバタのお花に仕上げました。

当初は茎の部分に袋をそなえた花香袋にする予定でしたが

この花のスゥーとした直線的な美しさが損なわれてしまうようで

試作を何度も繰り返すことになります。

私の抱くカキツバタとは、

縞の着物の衿をグッと抜き背筋をS字にしならせて振り返る

なんとも粋でカッコ良い女性のイメージなのです。

そしてようやく仕上がったのが、今回の作品です。

まっすぐにのびる三枚の細葉にひと枝の青かえでをそえ、

根元には薄様の和紙に香をしのばせた文を結び仕上げました。

初夏の涼しげな風が優しく吹き抜けていくのを感じませんか?

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香には5月中旬から6月初にかけて出回る

青山椒の実桂皮丁子などと合わせて調合します。

その香りは何とも清々しく

カキツバタ ・ 青山椒 ・ 青かえで

と、季節を同じくするモノ同士たいへん相性の良い組み合わせとなりました。

「結び文」とは古来の手紙の様式で、とくに恋文などに使われたものです。

それでは、結び文について少しお話を致しましょう。

 

折り枝の結び文

 

平安時代、ひとびとは季節をいろどる花や木の枝を手折り

贈り物や手紙に添えて届ける風習がありました。

手紙は通常、和歌という形で交わされます。

寝殿造りの屋敷の中で女御に守られるように暮らす姫君に恋する公達にとって、

相手のことを知る唯一ともいえる方法が文を交わすことでした。

愛しいと思う心をより印象的に伝えるためには、

巧みな和歌の力量はもとより、

文字の美しさ墨の色紙の質や色合い、

そして焚きしめる香から添える枝の趣向まで、

手紙にはさまざまな要素が要求されたのです。

 

折り枝(添え枝)

一輪の花を愛する女性に捧げるというロマンティックな行為は、

西洋を問わず太古の昔から絶えることなくおこなわれてきたことでしょう。

情感深く繊細な感情をもって暮らしていた王朝の貴族たちは、

一片の文にあらゆる美意識を盛り込めました。

そのひとつが文に添える折り枝だったのです。

 

源氏物語絵「初音」

光源氏の娘”明石の姫君”のもとに

離れて暮らす実母”明石の上”から新年にふさわしい五葉の松に

作り物のうぐいすが添えられた文が届きます。

「 年月を まつにひかれて ふる人に  今日うぐいすの 初音きかせよ 」

※長い年月を待ち続けて暮らしたきました老いた母に、

うぐいすの初音(元旦の姫のお言葉)を聞かせてください。

 

当時はこのように、文に季節の花などを添えて贈ることが習わしでした。

「源氏物語」には、梅・桜・藤・橘・玉笹・常夏(なでしこ)・朝顔・菊・りんどう・紅葉など様々な折り枝が場面を彩ります。

また、「源氏物語」より50年ほど前に書かれた

「宇津保(うつぼ)物語」には、

じつに面白い折り枝が登場したいへん興味をそそられますのでご紹介しましょう。

 

「宇津保物語」

この物語は、竹取物語と同様にフィクションで構成された長編物語です。

天からさずかった琴を子孫へと伝承する一族の数奇な運命を背景に、

王朝人の華やかな恋模様が繰り広げられていきます。

中でも求婚者が絶えない美しい姫君”貴宮(あてみや)”のもとには、

恋焦がれる公達たちより工夫をこらした様々な文が届けられるのでした。

 

①菊は花も葉も幹も品があり素晴らしい、露に濡れた菊をおし折り書き付ける

「 匂い増す 露しおかずば 菊の花  見る人深く  もの思はましや 」

※一層香りを増す露がなかったならば、

美しい菊の花(貴宮)と出会っても深く心惹かれずにすんだでしょうに・・・。

 

②五月五日に菖蒲の長く白い根を添えて

「 涙川 水際(みぎは)の あやめ引く時は 人知れぬ ねのあらはるるかな 」

※あなたを恋い慕う涙の川の水際のあやめを引いたならば、

人知れず秘めていました”ね”(菖蒲の根と涙する時の泣く音)が

あらわになってしまいました。

時はまさに端午の節句、

この日人々は菖蒲の葉で軒を葺き、

菖蒲の根の長さを競う根合わせなどの遊びに興じるのでした。

 

③おもしろき藤花の巻き付いた松の枝を折り、花びらにしたためる

「 奥山に いく世経るぬらん 藤の花  隠れて深き 色をだに見で 」

※この藤は果たしてこの奥山にどれほど長い年月を過ごしていたのでしょう。

密かに咲いた藤花の深い色合い(私の思い)さえ知らずに・・・。

 

宇津保物語には、このように植物に直接和歌をしたためるが登場します。

蓮やススキの葉に書く事は可能かもしれませんが、

桜や藤の花びらに書き付けることはフィクションゆえの趣ある描写といえるでしょう。

 

④雁の子(卵)に書きつく

「 卵(かひ)のうちに 命こめたる 雁の子は  君が宿にて かへらざんなん 」

※殻の中に命をこめている雁の子(あなたの幼い頃から想いを寄せていた私)ゆえ、

孵りたくないのです(あなたのお側にいたいのです)。

 

また、宇津保物語ならではのユニークな文の形も登場します。

5   栗を見たまえば、中を割て身を取りて、

檜皮色(ひはだ色・黒みかかった蘇芳色)の色紙にかく書きて入れたり

「 行くとても 跡を留めし 道なれど  ふみすぐる世を 見るが悲しさ 」

※去っていかれるとしても、

来ればお立ち寄りになってくださったのに、

そのまま過ぎて行かれるなど悲しくてなりません。

夫の訪問が久しく途絶えている妻が、寂しさを息子に嘆く歌です。

この物語では、

栗・橘・柑子の実をくり抜いて中に文を入れて投げるという

他にはみられない独特の表現がなされているのがとても面白いところですね。

紫式部は、未熟ながら自由に満ち溢れた「宇津保物語」を参考にして

「源氏物語」という完成された長編小説を生み出したと言われています。

 

最後に、もうひとつの作品をご覧下さい。

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檀紙という厚手の高級和紙で折りあげた「杜若の折型」です。

結び文と対にして飾っていただくと良いかと思いますが

こうした作品は意外と場所を選ばず、

コンクリート打ちっぱなしなどモダンな洋間の室礼としても

たいへん見映えすることでしょう。

 

 

 

 

 

 

2014年06月18日 up date

その26 「永富家のあやめ会」

2014年 6月14日

 

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見事に咲き競う色とりどりのあやめ

ここは新幹線の姫路駅から車で30分ほどの位置にある

庄屋建築「永富家」の庭園です。

千坪近い敷地には、

入母屋造りの主屋に

白塀の美しい瓦葺きの長屋門、

そして籾納屋や味噌蔵などのさまざまな蔵があり

国の重要文化財にも指定されている

それは素晴らしい江戸後期建築です。

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今日は、いたるところに幔幕が張られ

とても華やいだ雰囲気に包まれていますね。

当地で開催される”あやめ会”

美術評論家の林屋晴三さん

楽家15代・楽吉左衛門さん

金閣寺でも茶会を依頼されたスイスの

数寄者ニーゼル・フィリップさんなど

そうそうたる人物が席主をつとめられました。

関西の主だった名門婦人がほとんど集うという

この年一回の茶会に、

今年は花人川瀬敏郎先生席主にと推挙され

わたしもそのご縁で伺うことができたのです。

下見に訪れたとき、

三つ紋付の正装でお迎えくださった永富美香子令夫人のお姿と、

隅々にまで心の行き届いた室礼に、先生は覚悟を決めたと言われます。

昔の空気感を見事なまでに維持しているこの邸宅で

先生は「室町の花 」を再現されました。

広い土間や磨きこまれた廊下には

時代籠にさりげない蛍袋などの野の花を、

濃茶席には明時代の曼陀羅華型(まんだらげ/朝鮮朝顔のこと)の古銅の器に

清らかに咲く昼顔を、

昼顔 (2)小書院の床には太閤秀吉が自ら断切り

”早馬”と命名した竹花入れに

まだ小さな蕾を抱いた馬の鈴草(ウマノスズクサ)を,

Aristolochia debilis 3.JPG

また、上座敷・中座敷には

室町時代の公家や僧侶など花の名手が優劣を競ったという「花会」を再現し、

いくつもの花が並べるように飾られていました。

室町の花とはいったいどのようなものか、ここで少しご紹介しましょう。

1380年6月9日 

この日、二条良基邸にて記録にのこる日本始めての

「花会」が催されました。

この会は、花の名手とされる公卿と数名の僧侶を加えた24名が、

12人ずつに分かれて花を生け、

その優劣を競うというものでした。

このように花を立てるという新しい芸術が注目されていくなか、

仏事に花を 楽しむ「七夕法楽(たなばたほうらく)の花会」が、

公家・ 将軍家において盛んに開催されるようになっていきます。

そして次第に、一年をとおして時節の花を殿中に飾ることが

恒例 となっていくのでした

文阿弥花伝書(石田家本)

 将軍家の所蔵する唐物(からもの/渡来品の意)を

 管理し花を生けるのは、

 京都の六角堂頂法寺の僧 である池坊専慶や

 文阿弥(もんあみ)などの花の名手たちに任されました。        

 やがて、進化していく桃山文化の華麗な建築に合わせるかのように、

 「立花」の様式はより堂々とした装飾性を強めていきます。

       「花を生ける」という文化は、

  中国における文人のたしなみであった挿花と

  宗教的意味合いのある供え花を基として、

  日本独特の精神的な美を表す場を得たことで発展

  権力者の庇護のもと

この室町の時代に根を下ろしたといえるでしょう。

花の世界とは、もともと茶の湯と同様に男の領域だったのですね。

楚々とした野の花を生ける時にはわからないでしょうが、

立花を学ぶと

花器にしつらえる込藁(こみわら)をギュッと束ね

ノコで樹を切り出して枝をはらい、刺し口をナタとがらせるなど

力がなければできない作業がいくつもあり

女性の入り込めない世界であることに気付かされます。

今回の茶会は、中世に誕生した茶の湯という日本の芸能を

永富家という時代をタイムスリップしたかのような場をもって荘厳した

二度とない素晴らしい会となりました。

そして何よりも圧巻だったのは、

一段高くしつらえられた上段の間の中央に

どうどうと生けられた”立花”でした。

立花とは人のためではなく神仏へと意識を投じて生けられた花

といったら良いでしょうか。

遠近古今など森羅万象の成り立ちを閉じ込め

まるで宇宙がそこに成り立っているかのような花ゆえ

誰もが気軽に手を出してはいけない領域といえるでしょう。

もっと上手に説明できれば良いのですが、

花を生けるというさりげない行為に

壮大な世界感をもって挑んだ日本の先人たちがいた

という事実を是非知っていただきたいと思います。

鮮やかな朱塗りの平卓

桃山時代の月型の遊鐶(ゆうかん)のついた

古銅薄端立花瓶(うすばたりっかへい)に生けられた立花は、

人が立ち入ることを拒むかのように

じっと私たちを見つめ返すのでした。

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2014年06月16日 up date

その25 「十薬(どくだみ)の花」

2014年5月29日

十薬とはドクダミのこと。

この花の奥に秘められた美しさを教えてくださったのは

花人の川瀬敏郎先生です。

ドクダミはビルの谷間や家の路地など

どこにでも咲いている花ゆえ

気に止めていらっしゃらない方も多いことでしょう。

しかし見方を変えると

まるで一人の女性

そこに佇んでいるかのように感じられるようになるのです。

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川瀬先生の著書『今様花伝書』には、

ドクダミの花に対してこのような文が寄せられています。

「    たたずまいは清楚でも、内に激しいエロスを秘めた花  」

  カソリックの尼僧を思い出す

花弁に見える四枚の白い包葉は修道女のよう  

「  もし私が尼僧を主人公にした映画を撮るなら

彼女のうすぐらい部屋の窓辺に

小道具としてどくだみの花をいけておきたい  

と・・・。

先生は、京都の池坊出入りの老舗花店に生をうけました。

小学生で西行を読むなど早熟な子供の眼差しには

花や草木が人の姿と重なるように存在していたのでしょうか。

かつて先生のお教室で、

机を並べていた方のご不幸を知らされたことがありました。

そんな時、先生は花供養という方法で

彼女の面影をみごとなまでに生け込み

静かにそして言葉少なげにその死を悼むのです。

稀有の美意識洞察力を持って生まれた川瀬先生の心には

私たちが手を伸ばしても決して触れることのできない何かが見えているのでしょう。

感鋭い感性を持って生まれた未子を溺愛し

またその将来を案じていたお母様は、

大学卒業後、パリに留学していた先生が帰国してすぐに亡くなられます。

「  雨に濡れ、しなだれるあじさいを見ると

ふっと母がそこにいると感じるのです  」

先生のこの言葉は、

紫陽花の季節を迎えるたびに私の心をよぎっていくのです。

2014年06月04日 up date

その24 「祝いの練香『結梅(むすびうめ)』」

2014年 5月5日

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今日は南青山にある根津美術館へ 

お料理の先生・藤田貴子さんの「虎ノ門教室 10周年」をお祝いする

茶会へと出かけます。

 

このところ、お茶会にうかがう機会が多くなりました。

毎月のように様々なお席に出向きます。

ご亭主の心のこもった室礼やお料理に季節のお菓子

また、一期一会にご一緒する方々のお着物も楽しみの一つです。

 

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季節はまさしく新緑の最中

庭園の入口から坂を下っていくと

萌えいでる若葉が優しく人々を迎え

藤棚には蕾をほころび始めた紫の花

ほのかに甘い香りを放ちながらヒラヒラと風に揺れています。

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根津美術館の庭園には、

かつて笄川(こうがいがわ)の支流

が流れていました。

谷となり荒れ果てていたこの土地に

明治後期、鉄道王として名を馳せた

実業家根津嘉一郎氏

湧水や高低差のある地形をいかして

自邸と庭園を造設したのです。

 

 

 

 

なによりもこの庭の水量の豊かさは目を見張るほど

まさしくドクドク湧き出でる清流

思わず目が釘付けになってしまうことでしょう。

 

そうした野趣も見所の庭園内に点在するお茶室は、

緑と水と土の匂いに包まれて

都会であることをしばし忘れさせてくれる空間なのです。

 

日本料理を教えてくださる藤田先生は、

レッスンの時もさながらそのお姿もキリッとした芯のある素敵な女性

何よりも食材を余すことなく扱う心にいつも感心させられます。

それでは、先生の節目となる茶会のために

お祝いの練香をつくりましょう。

 

 

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春の訪れとともに

清らかな香りを放ち開花した梅の花も

やがて小さな青い実を結びます。

先生のこれからのご活躍

良きご縁の積み重ねを祈願し

『結梅(むすびうめ)』との

香銘をつけさせていただきました。

7種の微粉末にした香料と

梅の実の果肉をていねいに裏ごしして合わせます。

その香りは、

しっとりと低く低く流れ漂う練香の

生ものゆえの雅びな芳香に

梅の爽やかさが加味され

初夏の訪れが近づくのを感じさせる

この季節の茶会に

ふさわしいものとなりました。

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平安時代の貴族たちは

練香の基本の処方に

各々が微妙な匙加減を加えて

独自の香り作りに励みました。

移りゆく季節をとらえるため

梅の花のわずかなシベを集めて加えたり

梅の香のうつったを足してみたり

また、当時からあった梅干の果肉をていねいに漉して足すなどして

季節の趣を香へうつし

その風雅を楽しんでいたのです。

梅肉の効果は驚くほどで

大切なレシピのひとつとなりました。

どうぞ、機会がありましたら是非ともお試し下さい

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年05月05日 up date

その23 「幻のカリロク」

2014年 4月23日

 

日本のアロマ業界を牽引しています

公益社団法人 日本アロマ環境協会

季刊誌「AEAJ」No.71 春号(2014年3月25日発売)に

文章を寄稿しましたので、ご覧ください。

『ストーリーのある香り』にて、カリロクの実を取り上げました。

 

 

皆さま、カリロクという名称を聞いたことがあるでしょうか?

不思議な名前を持つこの植物をここで少しご紹介したいと思います。

 

                 訶梨勒(カリロク)      

 

『その昔、と言われた訶梨勒(カリロク)の実は、

スッとしたニッキのような芳香をそなえていますが、

香料としてだけでなくとしての価値も高いものでした。』

 

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和名  訶梨勒(カリロク)

英名   Mylobalan(ミロバラン)

学名   Turmeric Chucumba

シクンシ科の落葉高木樹

原産地 インド・ミャンマー

ナツメのような楕円形の実はピリッと鼻の奥を心地よく刺激する甘い香りが漂います。

 

現存する日本最古の医書として国宝に指定されている「医心方(いしんぼう)」は、

平安時代の宮中医官”丹波康頼(たんばのやすより)”

が中国隋・唐代の百数十にもおよぶ文献を引用してまとめあげ、

982年朝廷へと献上した全30巻の医学全書です。

その記載のなかに「呵梨勒丸(かりろくがん)」(※医心方にはこの文字があてがわれています)という薬名がでてきますのでご紹介しましょう。

 

※国宝指定名称 「医心方(半井家本)」30

紙本墨書 平安時代12世紀  東京国立博物館蔵

※「全訳精解 医心方」全33冊 槇佐知子翻訳  筑摩書房

 

インドの神様・帝釈天(たいしゃくてん)の処方と伝えられるこの秘薬は、

“一切風病(いっさいふうびょう)の治療薬”として

カリロクの果皮に人参や大黄・桂心など13種類の生薬をあわせ

蜂蜜で練って丸薬としたものです。

風病というのは、神経や臓器に様々な病をひきおこす万病のことで、

すきま風のようにスッと人間の身体に邪気を送りこみ、

頭痛・発熱・脚気や中風などをひきおこすため

風は百病の長なり、その変化するに至って他病となる」と恐れられました。

この処方のカリロクの分量がとくに勝っているわけではないのに

薬の名称とされている事から、

この実がいかに珍重されていたかがわかるでしょう。

この本にはまた、麝香などの香料を調合した匂袋で鬼を避ける方や、

妖怪や毒虫・虎を遠ざける方、

そして修行者が薫りたかい調合香を服用して体臭を芳しくし

修行の妨げとなる欲望をたちきる方

などたいへん興味深い方術も記されています。

 

 

新年5※練り上げた半生状のお香「練り香

その姿や成分は丸薬と大変よく似ており、

植物の茎根や種などを乾かして粉にし作られます。

様々な素材を微妙に配合

薬効高い薬やかぐわしい香を生み出した

古代人の知恵に大変驚かされますね。

 

 

 

 

 

 

奈良時代、身体が弱かったと伝えられる聖武天皇を気遣い

朝廷には様々な妙薬が集められました。

天皇崩御後、皇后によってそれらは東大寺正倉院へと納められましたが、

宝物目録のひとつ「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」には

そうした異国からの植物・動物・鉱物性香薬が一巻にまとめて記されています。

 

仏教伝来にともない神聖な儀式に不可欠なものとして渡来した

沈香・白檀・丁子・桂皮などのさまざまな香料は、

生きるうえでなによりも大切とされた薬と同様に管理されてきました。

なぜならば神々がことのほか愛する香料植物には

人知の及ばない不思議な力が宿っており、

それらは人の病をも癒すと考えられていたからです。

天平時代の香料は、

生薬としての役割も高く大変に貴重なものだったといえるでしょう。

 

 

やがて霊験高いカリロクの実をおさめた袋を御簾や柱にかけたり、

その形を象牙や石でかたどり飾ることで邪気を払う風習が生まれ、

さらに時代が下り室町になると美しい白緞子や白綾などで仕立てた

華やかな掛け香“訶梨勒”が製作されるようになります。

袋の中に納める実は12個で”うるう年”には13個にすると伝えられました。

五色に染められた組紐をスッと長く垂らしたなんとも雅なこの掛け香は

茶席びらきや祝儀などの折に床柱や書院に飾られ、

その神秘的な馥郁たる芳香をはなって

集う人々の心身までを浄化していくのでした・・・。

 

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※縁起の良い蝉型に仕上げた「蝉のかりろく

品格あふれる名物裂で仕立てました。

 

 

 

 

 

2014年04月23日 up date
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