日本の香りと室礼

目次

その四「清める」

「散華(さんげ)」

東大寺や法隆寺、薬師寺などの大きな法会の折に
散華(さんげ)という美しい習わしがあるのをご存知でしょうか。
そのむかし、

「仏様が天から地上へと来迎されことを祝福して浄土よりハラハラと美しい花々が舞い降りてきた」

という故事から始まった散華は、
蓮の花びらをかたどった紙製の蓮弁を
僧侶の唱える声明(しょうみょう)に合わせながら撒き散らします。
この習わしの歴史は大変に古くインドから中国朝鮮半島をへて日本へと伝わり、
奈良の正倉院にも金箔をほどこした優美な蓮弁形の散華が数枚保存されています。

~正倉院の散華~

平成六年の正倉院展の折、
花びらをかたどった薄い三弁の金砂紙が出品され話題となりました。
この花弁形の色紙は、奈良時代の散華に用いられたものではないかと考えられています。
本来散華とは、生の蓮の花びらを集めて行われるものでした。

朝の光とともに折り重なる花びらをほころびはじめ、
フワッと開いた蓮の花に顔をしずめてみたことがあるでしょうか。
泥の中から誕生し茎にいっぱいに水をたたえスクッと立ち上がって咲く蓮の花には、
清らかに甘く気品溢れる芳香がそなわっているのです。
当初の清冽な香気は開きそして閉じるを繰り返す三日ほどのうちに成熟を重ね、
花びらの重みに耐えかねるようにハラリと散って後も豊潤な残香を残します。
蓮の聖なる香りはいっさいの邪悪を退散させ、
儀式をさらに荘厳な雰囲気へと導いたことでしょう。

しかしながら蓮の花びらは繊細で傷みやすく、
また日本では大量に用意することが叶わなかったため、
蓮弁をかたどった和紙が使われるようになりました。
時にそれらには香水がふりかけられまた、
沈香や白檀などの香料を薫きしめて用いられたと思われます。

正倉院御物「緑金箋(りょくきんせん)」三張 各長二五・五 幅 一五・五 正倉院中倉蔵
正倉院御物「緑金箋(りょくきんせん)」三張
各長二五・五 幅一五・五 正倉院中倉蔵

「花びら形に裁断された無文の緑麻紙(まし)。片面に金箔をこまかく砂子のようにして撒き散らしている。形状からみておそらくは法会の際に散華の花葩(かは)として供されたものかと考えられる。
正倉院文書中の天平勝宝四年頃のものと考えられている「経紙出納帳」には染紙に金・銀の微細な断片を砂子のように撒いて装飾した何種類かの色紙が記されているが、そのうちの緑紙に金砂子を撒いたもの、金塵緑紙(きんじのみどりがみ)が本品の素材ではないかとみられる。
当時、この「金塵緑紙」は多量に使用されたが、遺品としては宝庫に伝存するこの三枚の緑金箋が残るのみである。紙質はやわらかく後世の装飾経料紙を想わせる優美な趣がある。」

第四十六回 正倉院御物図録より

散華は僧侶が声明を唱えながら
華籠(けこ)とよばれる籠に盛られた散華を手にとり
仏の周りに撒いていくというかたちのほか、
お堂の屋根にしつらえた籠から風に舞うようにまかれる散華もあります。
平成十四年十月に奈良の東大寺でおこなわれた
「東大寺・大仏開眼1250年慶讃大法要」の折には、
大仏殿の屋根高くよりまかれた五色の花びらがハラハラと風に舞い、
人々の気持ちを高揚させました。
また昭和三十五年の「唐招提寺南大門修復落慶法要」においては、
ヘリコプターをつかって上空より散華がおこなわれたといわれます。

儀式に華やかさを加える散華は、
より軽やかに遠くまで飛んでいくようにと
薄く軽い和紙のほかしなやかな絹製のものもあり、
その多くは仏教の五色(赤・白・黄・青・紫または黒)に染め上げられています。
そしてかたちも蓮花のほかに桜の花びらやシキミ・菩提樹の葉
をかたどったものが作られるようになりました。

また時代とともに寺院の銘を烙印した散華や、
杉本健吉・小倉遊亀・熊谷守一など著名な画家の筆による
美しい散華も製作されるようになっていきます。
木版色刷りに仕立て上げられたそれらの散華は記念品として信徒にも配られますが、
美術的にも優れていることから販売もされ
「手の平の美術品」として収集する方も多くなっていきました。

奈良時代、大変貴重だった和紙に金砂を施して製作された優美な散華は、
天平人の国家安泰の願いとともに空高く舞い上がり、
太陽の光を受けてキラキラと清らかにきらめいたことでしょう・・・。

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