日々の暮らしの大きな節目となる「お正月」
日本人はこの日を一年の初めとし様々な「室礼」をほどこしてきました。
中でも特に神聖視されたのは常盤木の松で、
その威風堂々と風格あふれる存在感は、他の植物にはない特別なものといえるでしょう。
京都の伝統工芸に「有職造花」という世界があるのをご存知でしょうか?
今回はぜひ皆様に、雅な宮中の“飾り花文化”をご紹介したいと思います。
もともと造花とは、
自然にある草木花を布や紙・針金など様々な材料を駆使して
本物に近づけるべく技巧を凝らし制作した作り花をさします。
日本の歴史に登場する有職造花とは、
人日の“蓬莱飾り”にはじまり上巳雛段飾りの“左近の桜、右近の橘”、
五月端午の“菖蒲飾り”・七夕“梶の葉飾り”そして九月重陽の“薬玉や茱萸袋”など
五節句にまつわるお飾りをはじめとし、
宮中で執り行われる様々な儀礼儀式に華を添えるものとして歴史を彩ってきました。
その雅なデザインには平安時代の王朝美があふれており、
豊かな気候風土に育まれてきた日本文化の一端を垣間見ることができるでしょう。
今回は香を詰めた薬玉をあしらった
「平薬(ひらくす)」と呼ばれる有職飾りを再現してみましょう。
直径一尺(約三十センチ)ほどの輪に
薬玉と季節の草花で構成される平薬には、
淡路結びを施した六色の飾り打紐が添えられます。
邪気を払う意味合いをもつこのお飾りは、月毎に掛け替えて季節の移り変わりを楽しみます。
そうすることで色あせを防ぎ美しい状態を保つことができるのです。
どうぞ、この趣深い室礼をお楽しみください。
日本の美とは、
装飾をギリギリまで取り払い原点へと立ち戻った姿に生まれるのかもしれません。
緑と白のみで構成したこの清らかなる依代に、
恵みをもたらす神霊が舞い降りて来てくれますよう祈ります。
朝日が満ちていくかのような色彩が美しい扇面には、
“青海波の文様”が描かれています。
半円形の波の繰り返しが、幸せが次々に訪れることを暗示する吉祥紋の一つです。
紅の奉書紙と白の檀紙で折りあげた華やかな吉祥飾り。
蝶の折形には雄と雌がありますが、
今回は春に訪れる女の子の節句に合わせ雌の蝶形に整えました。
紅白梅の花枝と優しい色合いで組み上げた三色の稲穂結びが、
穏やかな春の日の到来を祝福します。
“魁・さきがけ”とこの花のことを呼ぶように、
まだ浅き春の訪れを清らかな芳香とともに知らせる梅の花。
梅の原産地は中国の長江中流・湖北省の山岳部や
四川省あたりといわれ、
中国では三千年以上も前から燻製にした実を
薬用として用いてきました。
この梅の薬は「烏梅(うばい)」といわれ、
若い青梅を摘み取ってかまどの煙でいぶしてつくるため、
烏(カラス)のようにまっ黒になったことから烏梅と呼ばれるようになります。
非常に酸味が強いこの薬は
主に消化不良や熱冷まし・咳止めや解毒などに用いられました。
日本へ梅が伝来したのは八世紀・奈良時代頃といわれます。
当初は薬用として伝わってきた梅ですが、
まだ雪の残る早春に蕾をふくらませ、
開花する五弁の愛らしい花姿やその香りのすばらしさによって、
次第に梅の花木自体が人々に注目されるようになっていくのです。
奈良時代、隋に代わって中国統一をはたした唐は繁栄を極め、
首都長安は国際交流の場としてさまざまな文物にあふれていました。
進んだ中国文化を積極的にとりいれ、都造りまで模倣していた天平人にとって、
唐の文人にことのほか愛されていた梅を愛でることは
憧れのひとつであり文化人の象徴でもあったのでしょう。
貴族らは春の訪れを祝って梅の枝をかざし、
花びらを浮かべた杯をかたむけなどしながら歌を詠む、
何とも風流な「梅花の宴」を頻繁に催しました。
やがて公家たちは自らの庭に梅の木を植え、
身近でこの花を観賞するようになっていきます。
当初は白梅が主流でしたが平安時代に入ると
香りの強い品種やあでやかな紅梅が珍重されるようになるのでした。
輝きを増していく春の陽ざしの中、
少女の頬のように愛らしく染まった紅梅は、
人々の心をさらに華やいだものへと導いたことでしょう。