2015年9月12日に開催しました
「月見香の会」のお写真ができました。
当日の会記とともに秋の室礼もお楽しみください。
月見香の会
平成二七年九月十二日 十時半
ご教授 香道研究家 林煌純(はやしきすみ)先生
於・高輪茶室「悦庵」
主・香り文化研究所「香り花房」宮沢敏子
会記
寄付 蓮のポプリ〈浄土の香り〉
蓮の花托・終わりを迎えた木の実・末枯れ草花
白檀・龍脳・大茴香・丁子・桂皮・匂い菖蒲根・安息香他
伊万里染付け水亀文重ね鉢 時代物
古材敷板
縁 菊蒔絵鼓胴花入れ 江戸後期
花 ススキ・鳥兜・河原撫子・秋野の花
秋草蒔絵二段冠卓 輪島塗
本席
床 有職飾り「錦秋の薬玉」
菊尽くし蒔絵香合 江戸時代
金ぼかし 檀紙紙釜敷 山崎吉左衛門(人間国宝)
雲鶴蒔絵桑平卓
脇床 大和型虫籠 駿河千筋竹細工
花 竜胆・秋野の花
銀製鈴虫 山田松香木店
真塗り丸盆
菊酒 ノンアルコール日本酒「零の雫」 金沢福光屋製
食用黄菊・丁子・大茴香
お土産菓子 したたり(黒糖) 京都亀廣永製
本席の床には有職飾り「錦秋の薬玉」を飾ります。
雲鶴蒔絵の美しい桑製平卓には菊尽し香合を
脇床には、駿河の伝統工芸品「大和型千筋竹細工の虫籠」に
竜胆などの秋草を生け、銀製の鈴虫を添えました。
講師である林先生をご紹介ののち
「月見香」が始まります。
林先生はたいへん丁寧に、そして分かりやすく
私たちにお話しして下さいました。
自らの美しい筆で、皆様にご用意いただいた料紙
が配られます。
乱れ箱には青磁の聞香炉などが
香炉から立ち昇る雅な香木の芳香は
焚き始めるそばから茶室を満たし
厳かな雰囲気へと私たちを誘います。
次々回ってくる香炉の香りを聞きあて
それぞれが答えを記していきます。
あまりの正解率の多さに先生もビックリ。
大変感心なさっておりました。
日頃のお勉強が役立ちましたね。
ゆったりとした時の流れる2時間余りの香会も無事に終了しました。
それでは高揚した心のままに
お料理屋さんから届きました美味しい点心をいただきましょう。
今回は、重陽節句にあわせて菊酒をご用意させていただきました。
菊花に丁子と大回香を漬け込んだ薬酒です。
皆様の健康とご長寿を祈って作りました。
広縁に生けた糸ススキ・鳥兜・河原撫子に紅葉など初秋の野花。
台は冠を置く「秋草蒔絵の冠卓」に江戸時代後期の「菊蒔絵鼓胴の花入れ」をもちいています。
最後に、林先生より私に本日のお題となった和歌の短冊と
調合された塗香を贈られ感激です。
先生の芸術性は香だけではなく
巧みな書そして和歌を吟じることまで及び
私たちを存分に楽しませて下さいました。
宮中の歌会始にも列席なさったことのある先生は、
歌詠みにも通じており、
頭上の上を流れるかのように
不思議な波長をもって吟じられる和歌に大変魅了されました。
ため息が出るほどに素晴らしかったです。
心より感謝申し上げます。
無事に会も終了し、
待合に飾った「蓮のポプリ」でお見送りです。
次の代へと命をつなぎ、終焉を迎えた蓮の花托や草木を盛り合わせたもの。
スーと天へと届くかのような龍脳の香りが流れます。
何とも素晴らしい一日でした。
早くからご準備のためにお越しいただき、
極上の伽羅そして初使いのお道具までご用意頂きまして
心より感謝申し上げます。
林先生、本当にありがとうございました。
「香り花房・かおりはなふさ」
主宰・宮沢敏子
♥♥2015年10月12日
なんてきれいなんでしょう。
ドイツ製のこれらのビー玉を目にしたとき
ぜひ身近において香りとともに楽しみたいな
と思った次第です。
大きな35ミリの玉は作るのには技術が必要とのこと。
光に透かして見るとレンズの作用ですべてが上下さかさまに見えるのです。
それこそ、アリスのように不思議な世界へと迷い込んだかに感じることでしょう。
お花や渦巻きを閉じ込めたビー玉もしかり、
ぜひお手元に置いてフルーツの爽やかな芳香とともに
楽しんでくださいね。
幼い日、
オレンジやブルーに輝くガラスのビー玉を缶に集め、
ガラガラと振ったり
取り出して眺めた思い出をもつ方も
多いのではないでしょうか。
光に透かしてジット眺めると、
何故か透明なそのガラス玉の中へと
吸い込まれていくように感じたものです。
大人になった今でも
変わらないその感覚を、
香りとともにプチボオルの中へと閉じ込めましょう。
ドイツのガラス工房から輸入されたビー玉は
何とも美しく子供だった時の純粋な心を思い出させます。
リビングテーブル・キッチン・洗面台・トイレ・ペット回りなど
お好きなところに置いておきましょう。
眺めたりコロコロしたりその姿と香りを楽しんでください。
材料 アメリ・プチボオル(アンティック仕上げ)
ドイツガラス工房のビー玉 (35ミリ)
〃 フラワー玉( 25ミリ)
〃 サイクロン玉(25ミリ)
ヴァイオレットビー玉(15ミリ) 12ケ
白木玉(8ミリ) 20ケ
シナモンスティック 1本
八角 1ケ
エッセンシャルオイルブレンド 計20滴
※オイルは数種合わせることでより豊かに香ります。
白木玉にしっかりと馴染ませ一晩おいて盛り付けましょう。
フルーツミックスブレンド
レモン・・5滴 オレンジ・・5滴
ベルガモット・・3滴 ミント・・3滴
クローブ・・・2滴 ムスク・・2滴
トンボ玉のお話し
トロンとした輝きを放つ硝子の“トンボ玉。
手の平を閉じればすっぽりとおさまってしまうほどの小さな玉に、
人をひきつけて止まない
不思議なパワーが宿っているのはどうしてでしょう。
今回は多くの権力者を魅了し、
時として通貨の役割も果たしてきたトンボ玉の誕生から
日本への道筋をたどってみることに
しましょう。
トンボ玉
「ガラスを用いて様々な文様をほどこし
紐を通す穴が開いている玉をトンボ玉と称します。」
そもそも黒曜石など天然が生み出したガラスは、
火山の噴火活動による高温によってつくられたもので
石器時代には動物を射る矢じりなどに利用されてきました。
人の手によるガラスの誕生は、
治金など高温での作業過程のなかで
偶然に生まれた産物だったのでしょう。
当初、秘伝とされたその製法は、
エジプト・メソポタミア文明のなかで発展を重ね
紀元前16世紀ころには
美しいトンボ玉が誕生することになります。
技術の発展とともにトンボ玉の単純だった意匠も
次第に複雑となり、
モザイク玉や人の顔を閉じ込めた人面玉など、
各国で特徴ある魅力的なトンボ玉が製作されるようになっていきます。
独特の輝きを放つガラスの玉は、
所有してということが人々の憧れの対象でした。
そして高価な金や銀・宝石にも勝る価値を生み出し、
交易ルートの発展とともに重要な交換品として
世界の隅々にまで運ばれていくことになるのです。
日本最古のトンボ玉
奈良新沢千塚古墳(AD.5世紀) 緑地に黄色の縞目模様
金箔サンドウィッチ
シルクロードの終着点といわれる日本にも、
トンボ玉は伝わってきました。
これら日本最古といわれる玉は、
そのデザインから
アレキサンドリアを中心とする地中海東や南岸地域でしかない技法
で作られていることまた、
朝鮮の新羅古墳の出土品と類似点が多いことが判っています。
ガラス研究の権威である由水常雄先生は、
「これらは地中海で作られ、
黒海さらに南ロシアを経てシルクロードのステップルート(地上ルート)を通じ、
朝鮮半島の新羅に渡り
日本へともたらされたものでしょう。」
と推測しています。
正倉院玉
8世紀当時の貴重な品々が保存されている奈良正倉院には、
実に24万個もの大量の玉が保存されています。
御物にはその製法を記した書物や原料も収蔵されていることから、
奈良時代すでに国内で生産されていたと考えられています。
他国にあまり例のない”ねじり玉“
露の形をした”露玉“
さらに仏像の飾りや仏殿内部の装飾に多く使われた
”平玉“”小丸玉“などがあります。
仏典に記述されている「瑠璃を敷く」とは、
仏像を安置する須弥壇の下に
ガラスの玉を敷き詰めることで、
記述どおりに大量の平玉が奈良興福寺の金堂跡より発見されました。
魔の七彩玉
一時期、生産されなくなり影を潜めていたトンボ玉ですが、
近世にはいりリヴァイバルの時期を迎えます。
17世紀、命知らずの冒険家により様々な交易ルートが確立されたことで、
ヨーロッパの人々は美しいトンボ玉を通貨として用い
宝石やスパイスなどを買い求めました。
特にガラス産業を独占していたものの衰退の一途をたどっていたイタリアは、
17から19世紀にかけて
アフリカとの貿易に乗り出します。
美しい色彩を駆使し怪しい輝きを放つイタリア産のヴエネチア玉は、
アフリカの原住民の魂を捕られて放さず
ダイヤモンドやエメラルド
トラやライオンなどの動物の毛皮
極楽鳥の羽根、
さらには悲劇的な人身売買もおこなわれ
奴隷となった人々はアメリカ大陸へと連れて行かれるのでした。
こうして華麗な七彩のモザイクガラスは、
その背景から
“魔の七彩玉”と称せられることになっていくのです。
1センチほどの小さな玉をジッと見つめていると、
不思議な感覚にとらわれるのは何故でしょう。
特長あるそれぞれのトンボ玉のデザインには、
たどってきた民族の喜び
そして悲しみの歴史が刻まれているからかもしれません・・・。