2017年11月17日
11月も半ばを過ぎ、
今年もあとひと月ばかりとなりました。
12月にはいると何かと慌ただしく感じられることでしょう。
新年に欠かせない植物「松」。
日本人がこの植物に特別の思いを抱くのは
何故なのか探ってみることにしましょう。
松迎えの風習
新しい年の幕開けは実にすがすがしく、
誰もが心新たな気持ちになることでしょう。
町を歩けば綺麗に清められた家々の玄関に常盤木の松が飾られ、
今年一年の豊作と家族の幸せを願う気持ちが伝わってきます。
慶事に欠かせない植物『松竹梅』の柱といえる松は、
強く清涼なる芳香とともに
凛として気高いオーラを発する特別な植物といえるでしょう。
『歳寒三友』図 13世紀中国
歳寒三友(さいかんのさんゆう)
「歳寒三友」であらわされる松竹梅とは、
宋代の文人に好まれた画題のひとつで、
厳しい状況でも節度を守り清廉潔白に
そして豊かに生きるという文人の理想を現しています。
極寒にも色あせない松、
しなやかにしなる竹、
百花にさきがけ寒中に蕾ほころぶ梅の花。
松竹梅という植物に託された「歳寒三友」とは、
孔子の「論語」にある教えから生まれました。
~益者三友・損者三友~
・・・ためになる友には三通り、ためにならない友にも三通りある・・・
自分がどう思われようとも直言をしてくれる友、
心に誠がある友、
物事を深く知っている友、
これらの友人は自分を成長させてくれる人物である故
さらに親交をあたためると良いであろう。
反対に人に良く思われることを第一とする友、
人当たりは良いが本心ではない友、
口だけ達者で美辞麗句を述べるだけの友、
これらの友人は自分のためにならず・・・
厳しい状況の時にこそ大切にすべき友の姿を説いた「歳寒三友」の思想は、
平安時代に日本へと伝わり
江戸期には民衆にまで広く浸透していきました。
やがて教えをあらわす植物として描かれた松竹梅は、
めでたさの象徴となり
正月や婚礼などの慶事になくてはならないものとして
絵画・染め物・楽曲など多くの分野に取り入れられていくことになります。
松迎えの風習
正月に飾る松を山に取りに行く行事を
「松迎え」といいます。
その昔は12月13日におこなわれ、
この日ばかりは神聖な山に入って樹を切ることが許されていました。
新年に訪れるという歳神様は、
一年の豊作と家族の幸せをもたらしてくださる
ありがたい神様です。
その歳神様の降臨する依代として飾られるのようになったのが門松で、
家の戸口に松を飾るという行いの歴史は古く、
平安時代末にはすでに始まり
鎌倉時代になると松と竹をあわせた
立派な門松が作られるようになっていきす。
松という名称は
「祀る」・「神々が降りてくるのを待つ」を
語源とするという説がありますが、
その威風堂々とした風格あふれる存在感は
他の植物にはない特別なものといえるでしょう。
仏教が伝来する以前から日本人は、
自然の中に神は存在すると信じてきました。
四季豊かな日本列島に育まれた自然は、
私たちに大きな恵みをもたらしてくれます。
が、時として激しく荒れ狂い
恐ろしい厄災を引き起こすことも少なくありません。
故に古代人が何か事あるたびに、
その力の偉大さを感じそこに神の姿を見出したのも理解できることでしょう。
本来、神とは姿をもたず又、
ひとところに定着するものではないと考えられてきました。
天より降臨した神霊は、
鎮座する巨岩や樹齢を重ねた樹木など
様々な物体である依代を媒体として宿るのです。
老松の風格溢れる幹肌、
グッと力強く伸びる枝振り、
冬でも枯れず青々とした葉を茂らす生命力は、
じつに神秘的であり時に霊的であるとも感じられたことでしょう。
こうして”松”は
植物の中でも特別な存在として神聖視されてきたのです。
【影向の松(ようごうのまつ)】
奈良県春日大社の一の鳥居をくぐった右参道脇に、
枯死した黒松の切り株が祀られています。
この松こそ藤原氏の氏神である春日大明神が
翁に姿を変え降臨したと伝えられる「影向の松」なのです。
春日大明神の霊験が記された『春日権現霊験記』1309年には、
翁に姿を変えた神が
「万歳楽(まんざいらく)」を舞ったと記されています。
この「万歳楽」とは
唐の時代の賢王が国を治めるとき、
どこからともなく鳳凰が飛来し
「賢王万歳」とさえずった、
という逸話から創作された舞で、
才知と徳をあわせもつ立派な君主を称えるおめでたい楽曲として、
現在でも即位大礼の儀などの折に
鳥兜をかぶった演者により奉納されるで舞楽です。
桧で作られる能舞台正面の鏡板に、
立派な老松が描かれているのをご存知のことでしょう。
この松は春日の「影向の松」をあらわしています。
もともと能は
野外の大木のもとで行われるものでした。
が、時代とともに舞台は室内へと取り込まれ現代の様式へと完成されていきました。
能舞台の鏡板に松を描いた最初の人物は豊臣秀吉だったと伝えれます。
大変能が好きだった秀吉は、
隠居城として築いた桃山城の能舞台に
影向の松を描いて自ら舞い
そしてこの城で波乱万丈の最期を遂げるのです。
亡霊や生霊が登場し
「この世とあの世を行き来する芸能」
ともいわれる能は、
神の依代となった老松のもとで演じることで、
神秘的な大自然に抱かれ生きる
小さな人間に思いを馳せる、
日本独特の文化といえるでしょう。