
2018年5月
受け継がれる日本の暮らし ~包む~ 2
~包む~
では“包む”という行為は、
いったいどのようにして始まったのでしょうか。
もともとは大切な食べ物を
“分ける””運ぶ“という利便性から生まれたのかもしれません。
布や紙などがまだ無かった古代の人々は、
大きな葉で食料を包んだり竹筒に水をつめるなど
身近にある植物を利用してきました。
熊笹・月桃・柏など自然の植物にはすぐれた抗菌・防腐効果がそなわっており
包むだけで食料を保存する効力も発揮したことでしょう。
古事記には供物を柏の葉に盛ってお供えする記述がみられます。
今回は物を包むのに適した
「布織物」について考えてみましょう。
経糸と横糸を交互に編み込み、
薄い平らな面の状態に仕立てたものが布織物です。
布の制作にあたって、
人類は初め植物の草や蔓またその繊維を利用ました。
~麻~
縄文時代すでに人々は、
楮や芭蕉・葛などの繊維で織った布で身体覆い敷物などに用いていました。
縄文時代の遺跡からは
大麻(おおあさ)で編まれた縄が、
弥生時代の遺跡からは大麻の織物が出土しています。
縄文土器の美しい文様は、
撚った紐を押し当てたり転がしたりしてつけられのです。
「古事記」にも登場する麻という植物は、
やがて日本の宮中祭祀に欠かせない神聖な植物となっていきます。
天皇が即位した後、
初めておこなわれる新嘗祭「大嘗祭」では、
天皇は「麁服(あらたえ)」と呼ばれる大麻で織られた衣を着用されます。
戦後GHQにより有害性のある大麻の栽培は全面禁止となりましたが、
朝廷祭祀を司ってきた氏族の末裔にあたる
徳島の三木家により特別に栽培が許され調進されます。
大麻草
麻の繊維と繊維をはいだ後に残る麻幹(おがら)
~絹~
次に、軽くしなやかで美しい光沢を放つ絹織物をみていきましょう。
絹は紀元前300年ごろ(弥生時代)、
中国より稲作の技法とともに伝来しましたが、
長い間日本では粗雑な製品しか作ることができませんでした。
ゆえに飛鳥時代に貴族が身にまとっていた絹織物は、
ほとんどが渡来の製品で大変高価な貴重品だったわけです。
やがて日本に帰化した中国や朝鮮の職人たちにより、
少しずつ織物の技術が発展していきます。
当時の人々にとって貴重な布や生糸は、
中国の租税にならい
日本でも朝廷への貢物としておさめることが長く義務づけられていくことになります。
繭玉「小石丸(こいしまる)」
奈良時代より飼育されてきた古来の蚕品種「小石丸」は、
小粒ゆえ生産量が半分ほどに少なく
飼育も難しいため姿を消す運命をたどっていました。
皇室では代々宮中の御養蚕所(ごようさんじょ)で蚕を育て絹を紡いできましたが、
小石丸の生育を中止する議論がなされたとき、
美智子皇后が残すことを主張され存続されることになります。
1950年代の紅葉山御養蚕所(大正3年の皇居内に建てられました)
それから二十年の月日が流れた後の1993年、
正倉院御物の裂復元事業がはじまると
現在の改良された生糸では品質が劣っているため復元に適さないことが判明します。
復元を依頼された川島織物は、
古代種である小石丸の生糸が最適と判断し
小石丸繭の御賜下(ごかし)を願い出、
その申し出に快諾された陛下は
さらなる量産を約束し長期に渡り小石丸繭を提供されるのでした。
極々細くしなやかで
光沢も素晴らしい高品質な生糸は、
こうして貴重な天平時代の文化財を復元させる手立てとなったのです。
~綿~
実用性に優れた綿織物は絹より後、
奈良時代に入りようやく日本の歴史に登場してきます。
平安時代、愛知の砂浜に漂着したインド船によって
綿花の種が日本に伝わったことが記録に残されていますが、
その栽培は難しくなかなか成功しませんでした。
室町時代になってようやく日本の気候風土のあった品種が朝鮮より渡来し、
国産綿花の栽培が始まることになります。
綿花畑
庶民の衣服は長く麻織物が主流でしたが、
柔らかく吸水性にすぐれ扱いやすい綿は、
日本人の暮らしへと急速に取り入れられていくことになります。
麻・絹・綿と代表的な織物の歴史を見てきました。
人の暮らしになくてはならない布織物は、
身体を保護するだけでなく
暮らしの様々な場面で無くてはならない製品となり、
やがて人々は様々な知恵をふくらませ
「包む」という行為を発展させていことになるのです。
正倉院の平包み
正倉院御物「平包み」
平らな布を広げ物を包むという文化は世界中に見られますが、
奈良時代の正倉院御物にも残されていますのでご紹介しましょう。
正方形に仕立てられたこの平布は、
舞楽の装束を包み
片側につけられた紐で固定して唐櫃へと保管されていました。
平安時代には「古路毛都々美(ころもつつみ)」と呼ばれ、
右下に内容物がわかるように墨書がなされています。
こうした便利な布がやがて現代にも残る風呂敷へと発展していくことになるのです。