2019年12月
日陰蔓卯杖(ひかげかずらのうづえ)
今年最後のレッスンでは、年始に飾る「日陰蔓の卯杖飾り」を制作しました。
90センチほどの日陰蔓に今年収穫された古代米を用い、四垂の御幣と金銀の水引装飾で飾ります。
では「卯杖」とは、果たしてどのようなものなのでしょう。
奈良平安時代、宮中では正月初めの卯の日に年中の邪気をはらうため、
杖で大地をたたく儀式が行われました。
奈良の正倉院にはこの神聖な行事に用いられた椿の杖が伝わっています。
卯杖(うづえ)
杖の材料は、梅・桃・椿・柊や柳などの陽木で
、5尺3寸(約1.6m)に切ったのち一本ないし二・三本を束ね、
五色の糸を巻いて寿詞の奏上とともに天皇へ献上されました。
「日本書紀」には、背丈程の杖を天皇のお部屋の四隅に立てて邪悪を払ったと記されています。
中国・漢の時代に起源があるとされるこの儀式は、
やがて個々の貴族へと広がり、
平安時代には縁起のものとして互いに贈りあうようになっていきます。
卯杖は、新年を迎えはじめて訪れる卯の日から節分まで、
室内の几帳や柱などに吊るして飾られました。
民俗学者である折口信夫先生は、この様に記しています。
「・・・正月に関係のあるもので、卯杖・卯槌など言ふものがありますが、
此は、元は地面を叩く道具だつたと思ひます。
此行事は、今は小正月にも行ひますが、
正確には、霜月玄猪の日に行つたもので、土地の精霊を押へて廻る儀式だつたのです。
後には、精霊は地中に潜むと考へた事から、
土龍(モグラ)などを想像する様になりましたが、此を打つ木がうつぎでした。
中がうつろだからうつぎ(空木)と言うたとも言はれますが、
昔のうつぎがあれであつたかどうかは訣りません。
とにかくうつぎと言ふ木はあつたのです。
其が変化して、うづち・うづゑになつたのだと思ひます。・・・」
卯杖は、次第に神社の儀式にも取り入れられるようになり、
伊勢神宮では内宮外宮へ奉納されます。
京都の上賀茂神社では
現在でも卯杖を大神に奉納する神事がおこなわれており
2本合わせた空木の杖を
日陰蔓・藪柑子・石菖蒲(せきしょうぶ)・紙垂(しで)で飾った杖を
年始の門に掲げ参拝者を迎えています。
日陰蔓(ひかげのかずら)
日陰蔓は常緑シダ植物で
細長い茎を地面に這うように成長し、その長さは2~3メートルにも達します。
針状の葉は非常に細かく茎に密生し、
苔のようにも感じられますが、
日本では沖縄以外の山野に広く分布生育しているのです。
生命力あふれるみずみずしい日陰蔓は、
神聖な植物として古来より神事に使用されてきました。
新嘗祭などの儀式に集う官人の冠には、物忌みのしるしとして日陰蔓が飾られ、
それはのちに青や白糸で組んだ紐飾りへと姿を変えていったのです。
アメノウズメ命が槽(うけ・特殊な桶)の上で舞う神話の場面
また、『古事記』の有名な場面にも登場しますのでご紹介しましょう。
「…乱暴をはたらく弟・スサノウノ命に怒ったアマテラス大神は、
天の岩屋戸にお隠れになってしまいます。
すると、この世は暗黒に包まれ悪疫がはびこってしまうのでした。
困った八百万の神々は、高天原の安の河原に集まり相談をします。
そしてアメノウズメノ命が、
天の香久山の日陰蔓を襷に懸け、肌もあらわに乱舞するとドッと神々の笑いが起こり、
そのあまりの賑やかさに大神がソッと覗かれたその時、
力の強いタヂカラオノ命が岩戸をグッと引き開け大神を外へと連れ出すのでした。
岩戸にはすぐさま注連縄が張られ、
すると再びこの世は光を取り戻し、穏やかな平安の世が訪れたのです。・・・」 古事記より
日陰蔓卯杖飾り
1835年から1851年に刊行された10編からなる生花の入門手引書
『生花早満奈飛(いけばなはやまなび)』には、
当時飾られた卯杖の絵が残されています。
このお飾りは、桃か柳の杖に日陰蔓を垂らし、
山橘ヤマタチバナ(藪柑子)・山菅ヤマスゲ(ヤブラン)・木綿ユフ(日本最古の布といわれる楮布)を飾り、
頭を松葉重か紅梅重の鳥の子和紙で包んで紐でくくり吊るしたものでした。
卯杖とは、現在ではあまり眼にすることのない儀式ですが、
その歴史は古く大変神聖なものです。
みずみずしい植物を用いたお飾りに仕立て、
皆さまに幸多い一年が訪れますようお祈り申し上げます。
令和元年 瑞雲
宮沢敏子
大橋茶寮「如庵」朝茶事
2019年7月14日 この日は前日より降り始めた雨の一日となりました。
東京虎ノ門にひっそりとたたずむ「大橋茶寮」は、
裏千家十四代淡々斎が、戦後東京の稽古場としていたところで、
茶道に縁のあるものにとっては憧れてやまない場所といえるでしょう。
朝8時過ぎ、雨に濡れた土壁の門をくぐります。
寄付きの床には、風にしなる竹に
「七夕や この短冊を かの君に」
の和歌を添えた田山方南の軸が掛けられており、
初夏にふさわしい今日の趣向に胸がふくらみます。
本日のお連れとなる客人は五名様、
のどかにご挨拶を交わしていると汲み出しの香煎が運ばれてきました。
揃い待合の腰掛へ移動すると、ご亭主の出迎えが。
無言で一礼の後、蹲踞で身を清め本席「山吹の間」へ席入りします。
ここ大橋茶寮は、昭和22年、名工木村清兵衛により建造された本格的数寄屋建築で、
樹々に囲まれた敷地内には数々の茶室があり、
その佇まいは時の流れとともに成熟し市中の山居の様相を生みだしているのです。
これだけの茶文化に通じた建物を維持管理することは並大抵のことではなく、
戦後の苦難の時期を淡々斎宗匠と守貧庵亭主である大橋宗乃(おおはしそうの)さんが
共に力を合わせ守り抜いてこられました。
虎ノ門・六本木地区の大規模な再開発計画により取り壊しの危機に見舞われた時も
見事に尽力され、国の登録有形文化財として保存されることになったのです。
茶の湯を愛し生涯を茶をもって生きることを誓い大橋茶寮を運営してきた大橋宗乃さんは、
2019年 90歳を迎えられました。
お目にかかれることを本当に楽しみにしていましたが、
初座にて炭手前をなさるそのお姿は、
スースースーと流れるようなリズム感をもって進み
果たしてこれは現実なのか夢を見ているのか、
と思わずにいられないほど不思議な感覚におちいります。
床の掛物は、大徳寺百九十世 天室宗竺(てんしつそうじく)による江戸前期の墨蹟 「喝」。
ひざ前に扇子を置いて一礼し拝見すると、ピンと心に気合がはいります。
続く懐石の数々は、旬の素材を生かしたお料理が貴重な器とともに出され
一品一品が実に完成された優しい美味しさ。
大橋先生の場を和ませる温かい会話とともに,
楽しい時が過ぎていきました。
本ぶりとなった雨だれが茶室を包み込むように響きわたると、
まるで自然のおおいなる力に抱かれているかのように感じます。
障子越しには、濡れた緑や苔がキラキラと色鮮やかに輝いているのでした。
銀製の菊丸盆に盛られた主菓子をいただきましたら、中立です。
腰掛待合に戻り身を改めましょう。
身づくろいをすませると、程なく合図となる銅鑼の音が響いてまいりました。
身をかがめ静かにその音に耳を傾けます。
木造平屋建,切妻造,桟瓦葺の三畳半敷きの後座の茶室は、
愛知県犬山の国宝「如庵」を模して造られたもの。
路地草履で躙り口から入り着座すると、
サワサワという音とともに屋外の簾が巻き上げられ、席中に明かりが射し込みます。
床の花は、松平不昧公所持の竹釣舟花入れに清らかな白槿と糸芒。
畳床には鉄製手燭台に和ろうそくが灯されていました。
濃茶茶碗は、松平家伝来の平高麗
お濃茶は、大橋宗乃さんゆかりの「葵の昔」です。
お薄のお干菓子、京都・亀屋伊織製「瀧せんべいと青楓」。ちょうど「淡交タイムズ」の表紙に掲載されていましたのでご覧ください。
和やかな雰囲気の中でお濃茶とお薄をいただき、朝茶事が終了しました。
少し小降りになった雨の中、
お誘い下さった友人とゆっくり歩きながら大橋茶寮を後にします。
6月そして7月と参加したこれら二つの会は、
私にとってじつに尊いひと時でありました。
川瀬敏郎先生そして大橋宗乃先生、
伝説になるであろうこのお二方との時間は、会話せずとも実に多くのことを学ばせてくれるのです。
そして何かを超越した人から放たれる美しさは、
その裏側に真を貫く強靭ともいえる強さが秘められていることを
改めて思うのでした。
2019年8月4日
梅雨明けと同時に猛烈な暑さに見舞われた日本列島。
皆さま、体調大丈夫でしょうか?
外に出た途端に砂漠の地に降り立ったような、そんな気持になりますね。
こんな時は、無理をしないでスローペースで過ごすのが一番です。
どうぞ、無事に夏を乗り越えてください。
久しぶりのブログです。
6月そして7月に伺いました二つの会は、じつに趣深く日本の美の神髄を感じさせるものでした。
祇園会「杉本家」花会
京都の祇園祭は、
山鉾巡業とともに旧家の秘蔵品を飾る屏風祭りも見どころの一つといえるでしょう。
かつて『奈良屋』の屋号で呉服商を営んでいた杉本家は、
端正な伝統的意匠の建造物として国の重要文化財に指定され
現在は(財)奈良屋記念杉本家保存会が維持運営にあたっています。
2019年6月1日・2日の二日間、
花人である川瀬敏郎先生は、この住宅において花会を催されました。
朝一番に到着し幔幕のはられた屋敷に入ると、
空気は一変し時代を一気にさか戻ったように感じます。
表戸口から内玄関へ、さらに中庭を経て座敷に上がると
各部屋には、江戸時代のお軸や扇面を描いた華やかな屏風、
明の獅子香炉に支那簾さらに斑竹の文房棚や画帖など
国物、そして唐物の一級の品々がしつらえられていました。
それらを背景として生け込まれた先生の花は、
まるで昔からそこにあったかのようにしっとりと寄り添い飾られ
植物たちも、ここにいることがとても嬉しそう。
部屋を巡るごとに私の心はドンドン満たされ、いっぱいになっていきます。
当日は、初夏とは名ばかりの大変暑い京都でしたが、
前栽・中庭・坪庭・露地庭と300坪といわれる敷地に造作されたお庭によって
室内には心地よい風が通り抜けます。
窓から差し込む陽射しは、庇によってやわらぎ程よい明るさ。
これを日本家屋の妙というのでしょう。
ただただ、全てに感動するばかりでした。
2019年4月5日
今日は、桜日和の週末となりました。
今年の桜を皆さまどちらでご覧になっているのでしょうか。
私はここ数年、目黒河沿いの夜桜に足を運びます。
水面にうつる赤ちょうちんと桜の花は、それは美しく
見飽きることのない景色を目に焼き付けます。
そしてまた、年のせいでしょうか。
最近では、健康であることがいかに大切かを感じるようになりました。
好きなところに好きな時に、
自分の足で行くことができるということは、本当に素晴らしいことですね。
あたりまえのことが当たり前にできるように
弱っていく足腰を保ちながら齢を重ねていきたいと思います。
今年は、皆さまと七夕の室礼を制作したいと考えています。
試行錯誤の結果、ようやく納得のいく梶の葉ができあがりました。
平安時代「乞巧奠(きこうでん)」と呼ばれていた七夕の節供では、
梶の葉に歌合わせの和歌を書きつけたのです。
墨ののりが大変よく平たく丈夫な梶の葉は、
庭先にしつらえたお供台に飾ったり
つの盥(たらい)とよばれた桶に水をはり浮かべるなどしました。
たいへんきれいな形の葉ですね。
さあ、これからデザインをまとめあげていきましょう。
お教室では 5月6月にかけて制作したいと思います。
どうぞ、楽しみになさっていてください。
2019年2月10日
美しい画帖をご紹介しましょう。
これは江戸時代につくられた「堂上方御詠 十二ヶ月色紙和歌画帖」です。
一年の移り変わりを月ごとに詠んだ和歌と
その和歌に即した大和絵が添えられたもので
王朝人の雅な暮らしが描かれています。
上記はその一枚目、一月(睦月)の「根引き松」の様子です。
添えられた和歌は
「初子(はつね)の日 よはひを延への 小松はら
ひく手に千代の 春やちきらむ」
准三宮(じゅんさんぐ)
~初子の日、寿命を延ばす霊力があるという小松を引く手に、千世の春をお約束いたしましょう~
正月初めの子の日を初子(初音)といい、
古来より小高い丘にのぼり四方を望むと陰陽の気が定まり煩悩が取り除かれる、
という言い伝えがありました。
平安時代の貴族たちは、
この日皇室の狩猟所である紫野や北野などに出かけ、
小松を根付きのまま引き抜いたり、
凍える大地より芽吹いた若菜を摘んでは親しい人々へと贈り合い、
羹(あつもの・吸い物のこと)に食して一年の健康と長寿を願うのでした。
この画帖をめくっていると、
日本人の暮らしが自然とともにあったことがよく解ります。
もうすこしこの画帖を詠み砕き、
皆様に新刊にてご紹介したいと考えていますので楽しみにお待ちください。