雪月花
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その54「日本の香り事始め 2 ~くゆらす~」

2015年12月25日

 

     『日本の香り事始め』   供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                        身に纏う

 

その弐 ~「くゆらす」~

 

~源氏物語・梅枝の巻~

「源氏物語」の「梅枝の巻」には、

源氏の娘である明石の姫君が東宮に入内することとなり、

持参させるための薫物の調合を

四人の女性たちに競わせるという話が綴られています。

 

平安時代の香りの主流は

練り香」と呼ばれるものでした。

渡来ものの様々な香料を粉末にして調合する練り香は、

微妙な匙加減で香りに変化が生じます。

平安貴族にとって優れた薫物をくゆらすことは、

香りを聞いたその一瞬で

その方の身分から人格・教養までを表現してしまうほどに重要なことだったため、

人々は優れた香の調合にいそしんでいました。

 

この薫物合わせに参加した四人の女性たちは、

それぞれの人となりを表すかのような香を調合し

源氏の君を喜ばせます。

 

 

 

朝顔斎院・・・女同士の嫉妬に巻き込まれるのを避け、

最後まで源氏の愛を拒み続けた“朝顔斎院”は、

もっとも格の高い「黒方(くろほう)」を

じつに趣きある伝統的な香りに仕上げました。

フォーマルで正統といえるその芳香は、

高貴な生まれに育った

芯の強い朝顔斎院にふさわしいといえるかもしれません。

 

紫の上・・・“紫の上”の調合した「梅花(ばいか)」は、

梅の花になぞられた華やかな仕上がりとなりました。

作者である紫式部は、

源氏の寵愛を誰よりも受けたといわれる紫の上に、

当時もっともモダンで注目に値する梅の香をつくらせ

美しいこの花にふさわしい女性であることをしめしたのでしょう。

白梅の花

 

花散里・・・また、すべてにおいて控えめに、

源氏をジッと待ち優しく迎える女性“花散里の御方”は、

夏のしめやかなる香り「荷葉(かよう)」を調合しました。

荷葉とは蓮の葉のことで、

夏の厳しい暑さの中、涼やかさを印象づける芳香です。

その調合にある“安息香”の処方によって

スッとした清涼感漂うしめやかな香りに仕上がるのです。

京都宇治の蓮花

 

明石の御方・・・そして四人目の女性“明石の御方”は、

いったいどのような香を作られたのでしょう?

じつは姫君の実母である彼女は、

源氏が須磨に隠遁している時に知り合ったお方で、

生まれた女の子とともに京へと呼び寄せられました。

源氏は娘を高い地位の方へ嫁がせようと考えましたが、

それには母親である明石の御方よりも高貴な後立が必要なため、

姫君の養育を紫の上に託することにするのでした。

 

愛するわが子を手放さなければならない明石の御方、

子を欲しいと思うものの授からず

他の女性との子を育てることになった紫の上。

双方にとり胸を痛める現実でしたが、

姫君の愛らしいまなざしに紫の上の嫉妬もおさまり、

やがて母となる喜びを感じるのでした。

 

明石の御方は、

練り香の代表とされる六種(むくさ)の薫物”を調合することを控え、

衣に焚きしめる薫衣香(くのえこう)をつくります。

その行為には、

他の姫君たちよりも劣っている自分の身分を考え

競い合うことを避けた彼女の賢さと奥ゆかしさが感じ取れるでしょう。

 

 

 

源氏の君は薫物合わせの判定を

優れた趣味人である蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)に、

和歌を用いて依頼します。

 

「君ならで 誰かに見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」

                    紀友則「古今和歌集」

~あなたの他に誰に見せよというのでしょうか。

梅の花の素晴らしさを知るお方は、

あなたをおいて他にいないのです。~

 

「知る人にあらずや」

~私は知る人ではありませんがね~

と、蛍宮もまた和歌になぞられ返事をするのでした。

 

源氏の屋敷で行われた風流な薫物合わせの結果は、

どれも優劣しかねるほどに優れたものである

という蛍宮の判定がくだされ、

和やかなままに終わりをむかえます。

こうして源氏の姫君が帝へと入内したのち、

紫の上はこれ以後の後見人に明石の御方をたて、

ふたたび実の母子がともに暮らす時が訪れることになるのでした。

 

 

薫物合わせも終わり、

月の出とともにお酒が運ばれてきました。

寝殿の中は様々な薫香の香りに満ち満ち、

雨上がりの柔らかい風にのって

庭に咲く紅梅の清らかな芳香がしとやかに流れ込み、

何ともいいようもないほど雅な夕暮れとなりました。

源氏物語画帖/梅枝(徳川武術間蔵)

 

親しき仲の楽しい宴も終り、

夜明けに帰るため席を立った蛍宮に、

源氏は直衣一揃いと香の壺を二つ土産として宮の牛車へと届けさせます。

 

「花の香を えならぬ袖に うつしても 

ことあやまりと 妹やとがめむ」

 ~こんなに麗しい梅の香りを袖にうつして帰りましたら、

どこの女君と過ちを犯したのかと、

妻にとがめられることでしょう。~

 

と、礼を和歌をしたためた蛍宮に対し、

「随分、恐妻家なのですね」と笑う源氏は

使いの者に返歌をたくします。

 

「めづらしと ふるさと人も 待ちぞ見ん

               花の錦を 着て帰る君」

~珍しいことと家の人も待ち受けて見ることでしょう。

梅の花の錦を着て帰られる貴方さまを~

 

春まだ浅い二月十日、

清らかな薫物や庭に咲き競う梅の花の香りに包まれた一日が

こうして終わりを告げるのでした。

 

しかし実はこの時、

蛍宮は長年連れ添った北の方を亡くされたあとで

帰っても迎えてくれる妻はいなかったのです。

その寂しい心情を覆い隠して歌にした宮に対し、

源氏もまた彼の心に思いを馳せつつ歌をおくったのでした。

ともに風雅を愛する男たちの、

知的な交流がみてとれるでしょう。

 

 

「源氏物語」は多くの登場人物とともに

それぞれの多様な人生模様が描かれていますが、

作者”紫式部“はそれらの場面を具体的な言葉で表現するだけでなく、

じつに効果的に香りをくゆらせ

より情感豊かに言わんとしていることを伝えているのです・・・。

 

 

 

 

 

2015年12月25日 up date
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