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ブログ更新 その96 「散華(さんげ)」

2020年 6月17日

 

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時代金銅蓮華唐草文透かし華籠(けこ)

仏像蓮華台残片・鎌倉時代

 

新型コロナウイルスの世界的流行は未だおさまりをみせておりませんが、

日本をはじめ各国は様々な取り組みをもって試行錯誤を重ね、経済活動の再開を試みております。

 

私のお教室も、6月より講座を再開させていただきました。

 

「本当に久しぶりに電車に乗りました。」

とおっしゃりながらいらしてくださった生徒さんとともに

お亡くなりになられた多くの人々の冥福を祈り「散華」の室礼を整えます。

 

 

「散華(さんげ)」

 

「・・・欽明天皇7年(538年)、百済の聖明王の使いで訪れた使者が天皇に

金堂の釈迦如来像一体と経典数巻・仏具などを献上した・・・」

 

まだ日本という国名はなく「倭の国」と呼ばれていた時代、

海を渡ってきた異国からの使者が飛鳥の地の天皇のもとへと訪れます。

 

果たしてこの瞬間より、日本という国に仏教という教えが根付いていくことになりました。

 

そしてこの出来事により、自然の中に見出されてきた人々の信仰の対象が、

眼に見えるものとして具現化されていったのです。

 

553年「日本書紀」には日本最古の仏像制作の記録があり、

607年には法隆寺が創建され、

752年には聖武天皇により東大寺の大仏開眼供養が執り行われました。

 

もともと日本では、身近に咲き乱れる植物を切り取り飾るという習慣があまりありませんでしたが、

こうして寺院に安置された神々しい仏像を前に

“美しい花をたむけると”

いう行為が定着していったのです。

 

「一花を以て一仏に散ぜば 花に因よりて尽く 弥陀を見ることを得ん」

 

と仏典に説かれているように、

様々な儀式において献花がおこなわれるようになりました。

 

 

“お釈迦様がお生まれになったときインドの神々が喜んで空から花を降らせた”

という故事に基づいておこなわれる「散華」も、

奈良の東大寺や唐招提寺・薬師寺などの重要な法会のおりに欠かせない習わしとなっているのです。

 

 

散華は、華籠(けこ)と呼ばれる器に蓮の花びらを盛り

声明に合わせて撒き散らしていきます。

 

 

今回は、

銅板を皿型に打ち出し宝相華唐草文を繊細に切り抜いた金銅器に、

胡粉が清らかに残る鎌倉時代の連弁をソッと供えます。

 

 

コロナの流行は人類の歴史に残る悲劇として伝えられていくことでしょう。

 

そして自然を欲望のままに破壊してきた人類は、

ここから大切な何かを学ばなければいけないでしょう。

 

宮沢

 

 

 

2020年6月17日 up date
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