2013年10月1日
香時計というのをご存知でしょうか?
その昔、時を管理することは権力者の特権でした。
太陽の光でできる影によって時を計る「日時計」
水の落ちる量を計測した「水時計」(漏刻ろうこく)
そして燃え尽きる香の長さで時をしる「香時計」など、古代から人間は様々な方法をもって時を知ろうとしていたのです。
お香の燃焼速度というのは以外に正確なもので、
一定の速度で燃焼していく香の性質を利用した香時計は、
中国で誕生しやがて日本へと伝えられました。
平安時代の宮廷には、
自然科学や自然哲学を担当する“陰陽寮”という部署がありましたが、
この部署の管理のもと撞かれる“時の鐘”の音を合図に、
都中の寺社にある香時計がいっせいに点火され時間を計っていたといわれています。
香りで時を知るなど、なんとも優雅で素敵ですね。
ここで、ある意味をもって灯され続けている常香盤のお話をご紹介しましょう。
「比叡山・延暦寺の常香盤」
幼い頃より仏教を学び、
18歳にして一年に10名ほどしかあたえられない東大寺の受戒を授かった僧”最澄”は、
さらなる修行の場を大寺院ではなく故郷の比叡山へと求めました。
785年、京都と滋賀県の県境にあたるこの深い山中に草庵をむすんだ最澄は、
厳しい修行のすえ霊木で自ら薬師如来を刻んで本尊とし、
後に総本堂となる根本中堂(こんぽんちゅうどう)一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立します。
この秘仏が祀られている延暦寺根本中堂には、
最澄自らがおこしたといわれる”不滅の法灯”が受け継がれており、
開祖以来1200年もの長きにわたって灯され続けているのです。
そして万が一、この法灯が消えてしまったときの備えとして延暦寺で焚かれ
続けているのが「常香盤」のお香なのです。
時代を感じさせる正方形をした木製の香炉には
、平に整えられた灰がおさめられ綺麗な卍型の溝が刻まれています。
この溝には白檀の薫り高き“黄抹香”が埋め込まれ、
淡く白い煙とともに絶えることなく堂内に静かなる芳香を放っているのでした。
~比叡山への旅~
かねてから足を運びたいと考えていた
、比叡山延暦寺へと訪れる時がやってきました。
古来より京都の鬼門である東北を守護する霊峰としてあがめられてきた比叡山ですが、
京都駅から出発した1時間ほどのバスの旅は
眼下の琵琶湖の美しさもあいまってじつに心地良いものでした。
しかしやがて標高が高くなるにつれ、
杉木立が続く深山静寂の様相が濃くなっていきます。
天台宗の総本山でもあるこの寺は、
法然・親鸞・道元・日蓮など数々の名僧を輩出したことでも有名で、
次第に聖域へ足を踏み入れるという思いに緊張がふくらんでくるのでした。
東塔に到着したバスを降りると、
なんともすがすがしい山独特の冷気に包まれます。
それでは、さっそく国宝である根本中堂へとむかうことにしましょう。
根本中堂の入り口を入ると、左右には円柱の連なった長い回廊がありました。
参拝者は左より進んで堂内へとはいり、
中陣より低い位置にある内陣をのぞき込むようにして礼拝するのですが、
そうすると内陣に祀られている薬師如来像が参拝者と同じ目線にくることになります。
初めて体験するこのような形式に驚きましたが、
これは“仏も人もひとつ”という仏教の教えから来ている
天台様式の造作との説明を受けました。
しかしながら、
今まで見上げるようにして拝んでいた本尊が
自分の足よりも下に祀られていることがなんとも申し訳なく感じられてしまいます。
本尊の前にある3つの釣燈篭にはオレンジ色の光を放つ
“不滅の法灯”がユラユラと優しく灯っており
また、大師が入寂して以来保たれているという常香盤の白檀の香りが
静かに堂内を包みこんでいるのでした。
私が訪れたのは、秋も終わりに近づく頃で寒々とした静かな日でしたが、
堂内の床には親切にホットカーペットが引かれ、
人がある程度集まると穏やかな表情の僧侶の方からの説法が始まります。
大師様みずから彫られたという本尊を前に、
ひんやりとした薄暗いお堂できくお話はことのほかありがたく感じられるのでした。
以前ある僧侶の方に、仏門に入られた訳をお聞きしたことがあります。
その方は「意味は何もないのです。導かれたのでしょう・・・。」
とだけお話しくださいましたが、
人は自分の思いと関わりなく見えない力によって道を定められることがあるのでしょう。
緒田信長による比叡山の激しい焼き討ち、そして復興への歴史また、
命を落とすかもしれないという荒行「千日回峰行」に挑む修行僧の思いなど、
俗世界を離れこの比叡山に身を投じた僧侶たちの
様々な人生が頭をよぎっていくのでした・・・。