
2014年 4月15日
改築してからもう一年がたつでしょうか。
はじめて新しい『歌舞伎座』へと出かけてきました。
白い壁に朱色の提灯が映え、情緒タップリの夜景です。
「鳳凰祭四月 大歌舞伎」 夜五時近くからの開演
まずは、にぎやかな売店をひと巡りしましょう。
隈取りの大顔絵が描かれた箱には甘い”くるみ餅”、
その隣でギッタンバッタン
と焼かれているのは湯気立つ人形焼。
お土産も楽しみの一つですね。
ゆったりと大きめのシートの並ぶ客席は
詰め込みすぎず実に心地よい空間で、
役者さんの仕草からお顔の些細な表情まで
しっかりと見ることができます。
バリアフリーも徹底しておりお脚の悪いご年配の方々も
誰もがウキウキと楽しそう♥
目の前で次々に繰り広げられる大きな仕草の物語に
笑ったり、泣いたり、驚いたり、拍手をしたり
アッという間に終演の時間となりました。
今回、印象に残ったのは松本幸四郎さんが演じた
”髪結新三(かみゆいしんざ)”という演目
罪人上がりの小悪党新三が、娘を誘拐してお金をせしめようとするお話です。
髪結いの仕事をしている新三は、
江戸時代を忠実に再現した
藍染の粋な身なりに仕事箱を携えて
舞台の上で器用に髪をなでつけます。
その仕草こそ役者の見せ所のひとつと言えるのですが
ハンサムな幸四郎さん、さすがですね。
髷(まげ)を結ぶこよりをサット抜き取り
鬢付け油をチョンチョンと手につけては髪に撫で付け
悪事を心に目算しながら、
ちょっといきがった悪の新三役を見事に演じ
オーラタップリ 本当に見入ってしまいました。
ここで、新三が使っていた江戸時代の鬢付け油のお話を少しいたしましょう。
『 伽羅の油 』
徳川家康が長い戦乱の世に終止符をつけ幕府を新たに江戸に定めると
関西を中心に栄えて上方文化は江戸に向けて流れ込んでいきました。
日本は250年にもおよぶ泰平のときをむかえて
庶民の生活も豊かになり
香りの楽しみはさらに広まっていくことになります。
江戸時代の風俗に大きな影響を与えたと思われる文化に
”浄瑠璃“と”歌舞伎”があります。
舞台で舞う華やかな芸人の化粧法は、
観客である人々にも憧れを抱かせ
「装う」ことへの新たな関心を生み出しました。
当時流行した一節に、このような文句があります。
「薫れるは 伽羅の油か 花の露」 1656年「玉海集」より
“伽羅の油”とは、
極上の匂い入り鬢付け油のことで、
武士に仕える奴などが威勢を張るためにロウソクから流れ出たロウに松脂を加え、
頬ヒゲに塗ってピンとさせたことより始まります。
この油に丁子や白檀、ごま油などを配合して香り良い髪結い油が作られました。
この油は、髪型を固定するのに大変都合よく広く大衆に受け入れられて
江戸そして京都の多くに伽羅の油専門店が出現しました。
江戸時代には島田髷や丸髷など多数の髪型が誕生しており、
伊達な男女にとって無くてはならないオシャレの必需品だったといえるでしょう。
江戸の伽羅の油売り
伽羅の油の製法
「大白唐蝋十両、胡麻油(冬は一合五勺・夏は一合)。丁子1両、白檀一両、山梔子二匁、甘松一両、この四色の薬を油に入れ、火をゆるくして練る。二日目に蝋を削りて入れ、火を強くして、黒色になるほどに練りつむる。焦げ臭くなるとも、湯せんの時、その匂いは退く成り。良く色付けたるときあげて冷まし、竜脳二匁、麝香三匁、入れて良く混ぜ合わす。」
「女日用大全」より
伽羅というのは香木の中でも最上品質を誇る沈香のことで、
庶民の手の届かない憧れの対象でした。
やがて“高級なもの””素晴らしいもの”の代名詞に
この言葉がつかわれるようになっていきます。
鬢付け油の”伽羅の油“という名称も、
伽羅木の香りの良さと高級なイメージを重ね合わせて、
鬢付け油の商品価値を高めるためにつけられたのでしょう。
町人文化が花開いた江戸時代
歌舞伎座での一夜は、人情厚い人々が生き生きと暮らしていたその時代へと
タイムスリップしたかのよう
何もかも忘れてお芝居に没頭した楽しき時間となりました♥