2015年 7月31日
我が家に新しい家族が来てくれましたので
ぜひ皆様にご紹介いたしましょう。
サスケさん、壁際からソッと覗いております
この子は、父が亡くなった翌年に
捨て猫のボランティアの方から譲り受けた猫さんです。
家に来た時は本当に小さく、私の手の平に乗るほどの子猫さんでした。
あれからもう16年、実家の母が施設に入居したのを機に
私たち夫婦の家へとお引越しをしてきました。
サスケさんのために用意した猫さんベッド。
まだ、少々遠慮がちにしているようですね。
動物を飼われている方なら誰もが思われることでしょうが、
彼らは人間が思う以上に様々なことを理解しているようです。
お迎えに行ったとき
サスケさんはベランダの片隅におりました。
私を見た瞬間、彼は自分の生末を理解したのでしょう。
生まれてからズーと過ごしてきた家を後にし、
車に揺られてついたお部屋を
グルッと見渡して
覚悟を決めたような表情で私を見詰めたのです。
爪とぎのうえでマッタリとしています
本当に家に来てくれたことがうれしくて少々過保護な私と、
そんな可愛がり方あったのね~と思わせるオットとの
三人の生活がはじまりました。
紐が大好き。ビニールひもで遊んでいます
ベランダでスーパーのカゴに入ってます。
車輪付のカートでダーとコースター遊び中
オットはサスケさんの柔らかいお腹が大好き
お膝に乗っけてモミモミ中
寝てばかりいると足腰弱るヨー
とベランダからお家をグルグル走らせるのを見て
なんだか可哀想に思っていましたが
確かに最近、サスケさんの身体は筋肉がついたようです。
とても年寄りには見えません。
サスケさん愛玩のぬいぐるみのタロちゃんです。
小さい時からいつも一緒
もうボロボロですが、
枕にしたり、かかえてネコキックしたり、
またたびをすりこんであげると飛び上がって喜び
ペロペロしまくりです。
サスケさんが来てから何かが変わった私たちの生活。
毎朝、お食事をあげて可愛がってくれるオットに感謝です。
本当にありがとうございます。
2015年5月17日
軽井沢でのお茶会の誘いを受けたとき
その距離の遠さに迷っておりました。
でも思い切って参加してみれば、
東京から新幹線で1時間あまりというあまりの近さに
心配は全く必要なかった
と 楽しかった思い出ばかりが頭に浮かんできます。
この写真は、 一席めの茶室である
広間を囲む廊下の様子。
上質な木のぬくもりと
和紙と畳で構成された日本建築の粋(すい)ともいえる空間が
じつに心地よいですね。
お茶会に伺うと、
記憶に遠くなった素晴らしい空間に出会えることがあり
それもまた楽しみのひとつといえるでしょう。
今回の会場は軽井沢の駅から車で5分ほどの
「南ヶ丘倶楽部」
五月の軽井沢は、まさに新緑の最中。
どこをながめても芽吹いた若葉が目にやさしく
爽やかにふりそそぐ光に包まれて
そよそよと緑色の風が吹き抜けていきます。
当地の建築は中村晶生先生の設計なるもの。
数寄屋建築の第一人者である先生は、
広間と立礼の茶室のほか
豊臣秀吉が築いた大阪城下の屋敷に
千利休が設けたといわれる
幻の”深三畳台目の茶室”(三畳敷に点前畳のついた間取り)を
僅かな資料から推測しこの地に復元されました。
大阪夏の陣にて消失してしまったこの茶室は、
中村先生の四十年に及ぶ研究をへて
三八四年ぶりに”大庵(だいあん)”と銘名され
軽井沢の地に姿をあらわしたのです。
茶室とは、実に不思議な空間です。
とくに草庵といわれる小さな茶室に赴くと
自然と呼吸は整えられ
内なる精神へと心が研ぎ澄まされていくのを感じます。
木材や竹・藁そして和紙に土壁、
イグサで編まれた畳など
自然の素朴な素材で構成され
薄暗い必要最低限の採光で設えられた草庵は、
ときに女性の子宮にもたとえられ
居住まる人々の心を
原点へと回帰させるかのような 不思議な力をもっているのです。
夢のようなお話しですが、
いつの日か自分の茶室を持てる幸運に恵まれたならば、
三畳ほどの小さな空間に
ソッと座り静かに瞑想していたいもの
と 思い描いては楽しんでいるのです ♥♥
2015年 3月27日
東京の桜開花の報道に、心はフワフワと浮き立って参りました。
しかしながら
人生には一つや二つの悩みはつきもので
私もその御多分に漏れず
”春の憂鬱”が小さな隙間を見つけてグワッと襲ってきているのです。
こんなに気持ち良い季節を迎えているのに
これではいけません。
「なんとかせにゃいかん」 ですね。
皆さま、そんな時はどの様にして過ごされるのでしょうか?
はい、わたしは何もしたくないという億劫な気持ちを隅っこに無理やり押し込み
なるべく明るい色の洋服をまとってお出かけすることにしています。
今日は、オシャレな目黒白金周辺を散策することにしましょう。
アンティックの腕時計屋さんに
リサイクルの着物屋さん、
イタリアの輸入食料品店に
小粋なパティスリー、
愛犬を散歩させる素敵なマダム達をながめ
何を買うでもなくフラフラとお店を出入りしているうちに
ウーン なんとなく憂鬱さんが薄くなっていくような感じがします。
歩き疲れたのでティータイムといたしましょうか。
脇道を少し行くと
塗装していない樹で作られた何とも感じの良いカフエがありました。
平日の2時過ぎ
店内のお客さんも少なくビンテージのソファも心地よさそうですね。
それでは、レモンバーベナのハーブティーに
大好きなチョコレートのシホンケーキを注文しましょう。
大きなマグカップにタップリいれられたティーは
温かい湯気と爽やかな香りで私を包み
美味しそうなケーキに添えられた白いクリームは
実にサッパリとフワフワで
生クリームが苦手な私も
思わずペロッと食べてしまうのでした。
さあ、あまり疲れないうちに帰りましょうか。
マンションの向かいにある明治学園のチャペルが新緑と相まって綺麗ですね。
お部屋につくと西南の窓から
スポットを当てられるかのようなまぶしい光が差し込み
窓辺に置かれた様々な装飾が天井へと転写して
なんとも愛らしいこと・・・。
夫が作った観覧車にフランスの馬車の置物
水晶でできたキャンドル立てなどなど
壁から天井へと写り込んで不思議な光景です。
ちなみにお花のような照明は
自分たちで取り寄せ組み立てたもの。
ポワンと蓮の花が浮かんでいるように見えませんか?
何だかんだ、こんな一日を過ごすうちに
少しずつ自分を取り戻していくことができたようです。
さあ、大きく深呼吸をし
志しを高くスー上へと押し上げ
これからも、ていねいに一歩ずつ進んでまいりましょう。
今日は、わたしの独り言にお付き合いいただき
ありがとうございました
2014年5月29日
十薬とはドクダミのこと。
この花の奥に秘められた美しさを教えてくださったのは
花人の川瀬敏郎先生です。
ドクダミはビルの谷間や家の路地など
どこにでも咲いている花ゆえ
気に止めていらっしゃらない方も多いことでしょう。
しかし見方を変えると
まるで一人の女性が
そこに佇んでいるかのように感じられるようになるのです。
川瀬先生の著書『今様花伝書』には、
ドクダミの花に対してこのような文が寄せられています。
「 たたずまいは清楚でも、内に激しいエロスを秘めた花 」
「 カソリックの尼僧を思い出す
花弁に見える四枚の白い包葉は修道女のよう 」
「 もし私が尼僧を主人公にした映画を撮るなら
彼女のうすぐらい部屋の窓辺に
小道具としてどくだみの花をいけておきたい 」
と・・・。
先生は、京都の池坊出入りの老舗花店に生をうけました。
小学生で西行を読むなど早熟な子供の眼差しには
花や草木が人の姿と重なるように存在していたのでしょうか。
かつて先生のお教室で、
机を並べていた方のご不幸を知らされたことがありました。
そんな時、先生は花供養という方法で
彼女の面影をみごとなまでに生け込み
静かにそして言葉少なげにその死を悼むのです。
稀有の美意識と洞察力を持って生まれた川瀬先生の心には
私たちが手を伸ばしても決して触れることのできない何かが見えているのでしょう。
感鋭い感性を持って生まれた未子を溺愛し
またその将来を案じていたお母様は、
大学卒業後、パリに留学していた先生が帰国してすぐに亡くなられます。
「 雨に濡れ、しなだれるあじさいを見ると
ふっと母がそこにいると感じるのです 」
先生のこの言葉は、
紫陽花の季節を迎えるたびに私の心をよぎっていくのです。
2014年 4月15日
改築してからもう一年がたつでしょうか。
はじめて新しい『歌舞伎座』へと出かけてきました。
白い壁に朱色の提灯が映え、情緒タップリの夜景です。
「鳳凰祭四月 大歌舞伎」 夜五時近くからの開演
まずは、にぎやかな売店をひと巡りしましょう。
隈取りの大顔絵が描かれた箱には甘い”くるみ餅”、
その隣でギッタンバッタン
と焼かれているのは湯気立つ人形焼。
お土産も楽しみの一つですね。
ゆったりと大きめのシートの並ぶ客席は
詰め込みすぎず実に心地よい空間で、
役者さんの仕草からお顔の些細な表情まで
しっかりと見ることができます。
バリアフリーも徹底しておりお脚の悪いご年配の方々も
誰もがウキウキと楽しそう♥
目の前で次々に繰り広げられる大きな仕草の物語に
笑ったり、泣いたり、驚いたり、拍手をしたり
アッという間に終演の時間となりました。
今回、印象に残ったのは松本幸四郎さんが演じた
”髪結新三(かみゆいしんざ)”という演目
罪人上がりの小悪党新三が、娘を誘拐してお金をせしめようとするお話です。
髪結いの仕事をしている新三は、
江戸時代を忠実に再現した
藍染の粋な身なりに仕事箱を携えて
舞台の上で器用に髪をなでつけます。
その仕草こそ役者の見せ所のひとつと言えるのですが
ハンサムな幸四郎さん、さすがですね。
髷(まげ)を結ぶこよりをサット抜き取り
鬢付け油をチョンチョンと手につけては髪に撫で付け
悪事を心に目算しながら、
ちょっといきがった悪の新三役を見事に演じ
オーラタップリ 本当に見入ってしまいました。
ここで、新三が使っていた江戸時代の鬢付け油のお話を少しいたしましょう。
『 伽羅の油 』
徳川家康が長い戦乱の世に終止符をつけ幕府を新たに江戸に定めると
関西を中心に栄えて上方文化は江戸に向けて流れ込んでいきました。
日本は250年にもおよぶ泰平のときをむかえて
庶民の生活も豊かになり
香りの楽しみはさらに広まっていくことになります。
江戸時代の風俗に大きな影響を与えたと思われる文化に
”浄瑠璃“と”歌舞伎”があります。
舞台で舞う華やかな芸人の化粧法は、
観客である人々にも憧れを抱かせ
「装う」ことへの新たな関心を生み出しました。
当時流行した一節に、このような文句があります。
「薫れるは 伽羅の油か 花の露」 1656年「玉海集」より
“伽羅の油”とは、
極上の匂い入り鬢付け油のことで、
武士に仕える奴などが威勢を張るためにロウソクから流れ出たロウに松脂を加え、
頬ヒゲに塗ってピンとさせたことより始まります。
この油に丁子や白檀、ごま油などを配合して香り良い髪結い油が作られました。
この油は、髪型を固定するのに大変都合よく広く大衆に受け入れられて
江戸そして京都の多くに伽羅の油専門店が出現しました。
江戸時代には島田髷や丸髷など多数の髪型が誕生しており、
伊達な男女にとって無くてはならないオシャレの必需品だったといえるでしょう。
江戸の伽羅の油売り
伽羅の油の製法
「大白唐蝋十両、胡麻油(冬は一合五勺・夏は一合)。丁子1両、白檀一両、山梔子二匁、甘松一両、この四色の薬を油に入れ、火をゆるくして練る。二日目に蝋を削りて入れ、火を強くして、黒色になるほどに練りつむる。焦げ臭くなるとも、湯せんの時、その匂いは退く成り。良く色付けたるときあげて冷まし、竜脳二匁、麝香三匁、入れて良く混ぜ合わす。」
「女日用大全」より
伽羅というのは香木の中でも最上品質を誇る沈香のことで、
庶民の手の届かない憧れの対象でした。
やがて“高級なもの””素晴らしいもの”の代名詞に
この言葉がつかわれるようになっていきます。
鬢付け油の”伽羅の油“という名称も、
伽羅木の香りの良さと高級なイメージを重ね合わせて、
鬢付け油の商品価値を高めるためにつけられたのでしょう。
町人文化が花開いた江戸時代
歌舞伎座での一夜は、人情厚い人々が生き生きと暮らしていたその時代へと
タイムスリップしたかのよう
何もかも忘れてお芝居に没頭した楽しき時間となりました♥