2014年 6月18日
今年は、菖蒲に縁の深い年なのでしょうか。
5月に行われた根津美術館でのお茶会では、
ちょうど年一回の尾形光琳 / 燕子花図屏風展示と重なり
素晴らしい作品を堪能できました。
『 燕子花図屏風 』左隻
尾形光琳 筆 / 18世紀 根津美術館蔵
6月には、国の重要文化財に指定されている姫路の永富家で
満開のあやめに包まれた茶会 ”あやめ会” に参加。
そしてお教室でも二点の杜若の作品を製作しました。
一つ目の作品は「杜若の結び文」です。
美しい色合いの薄絹で花びらを一枚ずつ縫い上げ
雅びなカキツバタのお花に仕上げました。
当初は茎の部分に袋をそなえた花香袋にする予定でしたが
この花のスゥーとした直線的な美しさが損なわれてしまうようで
試作を何度も繰り返すことになります。
私の抱くカキツバタとは、
縞の着物の衿をグッと抜き背筋をS字にしならせて振り返る
なんとも粋でカッコ良い女性のイメージなのです。
そしてようやく仕上がったのが、今回の作品です。
まっすぐにのびる三枚の細葉にひと枝の青かえでをそえ、
根元には薄様の和紙に香をしのばせた文を結び仕上げました。
初夏の涼しげな風が優しく吹き抜けていくのを感じませんか?
香には5月中旬から6月初にかけて出回る
青山椒の実を桂皮や丁子などと合わせて調合します。
その香りは何とも清々しく
カキツバタ ・ 青山椒 ・ 青かえで
と、季節を同じくするモノ同士たいへん相性の良い組み合わせとなりました。
「結び文」とは古来の手紙の様式で、とくに恋文などに使われたものです。
それでは、結び文について少しお話を致しましょう。
折り枝の結び文
平安時代、ひとびとは季節をいろどる花や木の枝を手折り
贈り物や手紙に添えて届ける風習がありました。
手紙は通常、和歌という形で交わされます。
寝殿造りの屋敷の中で女御に守られるように暮らす姫君に恋する公達にとって、
相手のことを知る唯一ともいえる方法が文を交わすことでした。
愛しいと思う心をより印象的に伝えるためには、
巧みな和歌の力量はもとより、
文字の美しさ、墨の色、紙の質や色合い、
そして焚きしめる香から添える枝の趣向まで、
手紙にはさまざまな要素が要求されたのです。
折り枝(添え枝)
一輪の花を愛する女性に捧げるというロマンティックな行為は、
西洋を問わず太古の昔から絶えることなくおこなわれてきたことでしょう。
情感深く繊細な感情をもって暮らしていた王朝の貴族たちは、
一片の文にあらゆる美意識を盛り込めました。
そのひとつが文に添える折り枝だったのです。
源氏物語絵「初音」
光源氏の娘”明石の姫君”のもとに
離れて暮らす実母”明石の上”から新年にふさわしい五葉の松に
作り物のうぐいすが添えられた文が届きます。
「 年月を まつにひかれて ふる人に 今日うぐいすの 初音きかせよ 」
※長い年月を待ち続けて暮らしたきました老いた母に、
うぐいすの初音(元旦の姫のお言葉)を聞かせてください。
当時はこのように、文に季節の花などを添えて贈ることが習わしでした。
「源氏物語」には、梅・桜・藤・橘・玉笹・常夏(なでしこ)・朝顔・菊・りんどう・紅葉など様々な折り枝が場面を彩ります。
また、「源氏物語」より50年ほど前に書かれた
「宇津保(うつぼ)物語」には、
じつに面白い折り枝が登場したいへん興味をそそられますのでご紹介しましょう。
「宇津保物語」
この物語は、竹取物語と同様にフィクションで構成された長編物語です。
天からさずかった琴を子孫へと伝承する一族の数奇な運命を背景に、
王朝人の華やかな恋模様が繰り広げられていきます。
中でも求婚者が絶えない美しい姫君”貴宮(あてみや)”のもとには、
恋焦がれる公達たちより工夫をこらした様々な文が届けられるのでした。
①菊は花も葉も幹も品があり素晴らしい、露に濡れた菊をおし折り書き付ける
「 匂い増す 露しおかずば 菊の花 見る人深く もの思はましや 」
※一層香りを増す露がなかったならば、
美しい菊の花(貴宮)と出会っても深く心惹かれずにすんだでしょうに・・・。
②五月五日に菖蒲の長く白い根を添えて
「 涙川 水際(みぎは)の あやめ引く時は 人知れぬ ねのあらはるるかな 」
※あなたを恋い慕う涙の川の水際のあやめを引いたならば、
人知れず秘めていました”ね”(菖蒲の根と涙する時の泣く音)が
あらわになってしまいました。
時はまさに端午の節句、
この日人々は菖蒲の葉で軒を葺き、
菖蒲の根の長さを競う根合わせなどの遊びに興じるのでした。
③おもしろき藤花の巻き付いた松の枝を折り、花びらにしたためる
「 奥山に いく世経るぬらん 藤の花 隠れて深き 色をだに見で 」
※この藤は果たしてこの奥山にどれほど長い年月を過ごしていたのでしょう。
密かに咲いた藤花の深い色合い(私の思い)さえ知らずに・・・。
宇津保物語には、このように植物に直接和歌をしたためるが登場します。
蓮やススキの葉に書く事は可能かもしれませんが、
桜や藤の花びらに書き付けることはフィクションゆえの趣ある描写といえるでしょう。
④雁の子(卵)に書きつく
「 卵(かひ)のうちに 命こめたる 雁の子は 君が宿にて かへらざんなん 」
※殻の中に命をこめている雁の子(あなたの幼い頃から想いを寄せていた私)ゆえ、
孵りたくないのです(あなたのお側にいたいのです)。
また、宇津保物語ならではのユニークな文の形も登場します。
5 栗を見たまえば、中を割て身を取りて、
檜皮色(ひはだ色・黒みかかった蘇芳色)の色紙にかく書きて入れたり
「 行くとても 跡を留めし 道なれど ふみすぐる世を 見るが悲しさ 」
※去っていかれるとしても、
来ればお立ち寄りになってくださったのに、
そのまま過ぎて行かれるなど悲しくてなりません。
夫の訪問が久しく途絶えている妻が、寂しさを息子に嘆く歌です。
この物語では、
栗・橘・柑子の実をくり抜いて中に文を入れて投げるという
他にはみられない独特の表現がなされているのがとても面白いところですね。
紫式部は、未熟ながら自由に満ち溢れた「宇津保物語」を参考にして
「源氏物語」という完成された長編小説を生み出したと言われています。
最後に、もうひとつの作品をご覧下さい。
檀紙という厚手の高級和紙で折りあげた「杜若の折型」です。
結び文と対にして飾っていただくと良いかと思いますが
こうした作品は意外と場所を選ばず、
コンクリート打ちっぱなしなどモダンな洋間の室礼としても
たいへん見映えすることでしょう。
2014年 5月5日
今日は南青山にある根津美術館へ
お料理の先生・藤田貴子さんの「虎ノ門教室 10周年」をお祝いする
茶会へと出かけます。
このところ、お茶会にうかがう機会が多くなりました。
毎月のように様々なお席に出向きます。
ご亭主の心のこもった室礼やお料理に季節のお菓子、
また、一期一会にご一緒する方々のお着物も楽しみの一つです。
季節はまさしく新緑の最中
庭園の入口から坂を下っていくと
萌えいでる若葉が優しく人々を迎え
藤棚には蕾をほころび始めた紫の花が
ほのかに甘い香りを放ちながらヒラヒラと風に揺れています。
根津美術館の庭園には、
かつて笄川(こうがいがわ)の支流
が流れていました。
谷となり荒れ果てていたこの土地に
明治後期、鉄道王として名を馳せた
実業家根津嘉一郎氏が
湧水や高低差のある地形をいかして
自邸と庭園を造設したのです。
なによりもこの庭の水量の豊かさは目を見張るほど♥
まさしくドクドクと湧き出でる清流に
思わず目が釘付けになってしまうことでしょう。
そうした野趣も見所の庭園内に点在するお茶室は、
緑と水と土の匂いに包まれて
都会であることをしばし忘れさせてくれる空間なのです。
日本料理を教えてくださる藤田先生は、
レッスンの時もさながらそのお姿もキリッとした芯のある素敵な女性
何よりも食材を余すことなく扱う心にいつも感心させられます。
それでは、先生の節目となる茶会のために
お祝いの練香をつくりましょう。
春の訪れとともに
清らかな香りを放ち開花した梅の花も
やがて小さな青い実を結びます。
先生のこれからのご活躍と
良きご縁の積み重ねを祈願し
『結梅(むすびうめ)』との
香銘をつけさせていただきました。
7種の微粉末にした香料と
梅の実の果肉をていねいに裏ごしして合わせます。
その香りは、
しっとりと低く低く流れ漂う練香の
生ものゆえの雅びな芳香に
梅の爽やかさが加味され
初夏の訪れが近づくのを感じさせる
この季節の茶会に
ふさわしいものとなりました。
平安時代の貴族たちは
練香の基本の処方に
各々が微妙な匙加減を加えて
独自の香り作りに励みました。
移りゆく季節をとらえるため
梅の花のわずかなシベを集めて加えたり
梅の香のうつった雪を足してみたり
また、当時からあった梅干の果肉をていねいに漉して足すなどして
季節の趣を香へうつし
その風雅を楽しんでいたのです。
梅肉の効果は驚くほどで
大切なレシピのひとつとなりました。
どうぞ、機会がありましたら是非ともお試し下さい♥
2014年 4月23日
日本のアロマ業界を牽引しています
公益社団法人 日本アロマ環境協会
季刊誌「AEAJ」No.71 春号(2014年3月25日発売)に
文章を寄稿しましたので、ご覧ください。
『ストーリーのある香り』にて、カリロクの実を取り上げました。
皆さま、カリロクという名称を聞いたことがあるでしょうか?
不思議な名前を持つこの植物をここで少しご紹介したいと思います。
訶梨勒(カリロク)
『その昔、幻と言われた訶梨勒(カリロク)の実は、
スッとしたニッキのような芳香をそなえていますが、
香料としてだけでなく薬としての価値も高いものでした。』
和名 訶梨勒(カリロク)
英名 Mylobalan(ミロバラン)
学名 Turmeric Chucumba
シクンシ科の落葉高木樹
原産地 インド・ミャンマー
ナツメのような楕円形の実はピリッと鼻の奥を心地よく刺激する甘い香りが漂います。
現存する日本最古の医書として国宝に指定されている「医心方(いしんぼう)」は、
平安時代の宮中医官”丹波康頼(たんばのやすより)”
が中国隋・唐代の百数十にもおよぶ文献を引用してまとめあげ、
982年朝廷へと献上した全30巻の医学全書です。
その記載のなかに「呵梨勒丸(かりろくがん)」(※医心方にはこの文字があてがわれています)という薬名がでてきますのでご紹介しましょう。
※国宝指定名称 「医心方(半井家本)」30巻
紙本墨書 平安時代12世紀 東京国立博物館蔵
※「全訳精解 医心方」全33冊 槇佐知子翻訳 筑摩書房
インドの神様・帝釈天(たいしゃくてん)の処方と伝えられるこの秘薬は、
“一切風病(いっさいふうびょう)の治療薬”として
カリロクの果皮に人参や大黄・桂心など13種類の生薬をあわせ
蜂蜜で練って丸薬としたものです。
風病というのは、神経や臓器に様々な病をひきおこす万病のことで、
すきま風のようにスッと人間の身体に邪気を送りこみ、
頭痛・発熱・脚気や中風などをひきおこすため
「風は百病の長なり、その変化するに至って他病となる」と恐れられました。
この処方のカリロクの分量がとくに勝っているわけではないのに
薬の名称とされている事から、
この実がいかに珍重されていたかがわかるでしょう。
この本にはまた、麝香などの香料を調合した匂袋で鬼を避ける方や、
妖怪や毒虫・虎を遠ざける方、
そして修行者が薫りたかい調合香を服用して体臭を芳しくし
修行の妨げとなる欲望をたちきる方
などたいへん興味深い方術も記されています。
その姿や成分は丸薬と大変よく似ており、
植物の茎根や種などを乾かして粉にし作られます。
様々な素材を微妙に配合し
薬効高い薬やかぐわしい香を生み出した
古代人の知恵に大変驚かされますね。
奈良時代、身体が弱かったと伝えられる聖武天皇を気遣い
朝廷には様々な妙薬が集められました。
天皇崩御後、皇后によってそれらは東大寺正倉院へと納められましたが、
宝物目録のひとつ「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」には
そうした異国からの植物・動物・鉱物性香薬が一巻にまとめて記されています。
仏教伝来にともない神聖な儀式に不可欠なものとして渡来した
沈香・白檀・丁子・桂皮などのさまざまな香料は、
生きるうえでなによりも大切とされた薬と同様に管理されてきました。
なぜならば神々がことのほか愛する香料植物には
人知の及ばない不思議な力が宿っており、
それらは人の病をも癒すと考えられていたからです。
天平時代の香料は、
生薬としての役割も高く大変に貴重なものだったといえるでしょう。
やがて霊験高いカリロクの実をおさめた袋を御簾や柱にかけたり、
その形を象牙や石でかたどり飾ることで邪気を払う風習が生まれ、
さらに時代が下り室町になると美しい白緞子や白綾などで仕立てた
華やかな掛け香“訶梨勒”が製作されるようになります。
袋の中に納める実は12個で”うるう年”には13個にすると伝えられました。
五色に染められた組紐をスッと長く垂らしたなんとも雅なこの掛け香は
茶席びらきや祝儀などの折に床柱や書院に飾られ、
その神秘的な馥郁たる芳香をはなって
集う人々の心身までを浄化していくのでした・・・。
※縁起の良い蝉型に仕上げた「蝉のかりろく」
品格あふれる名物裂で仕立てました。
2014年 4月15日
改築してからもう一年がたつでしょうか。
はじめて新しい『歌舞伎座』へと出かけてきました。
白い壁に朱色の提灯が映え、情緒タップリの夜景です。
「鳳凰祭四月 大歌舞伎」 夜五時近くからの開演
まずは、にぎやかな売店をひと巡りしましょう。
隈取りの大顔絵が描かれた箱には甘い”くるみ餅”、
その隣でギッタンバッタン
と焼かれているのは湯気立つ人形焼。
お土産も楽しみの一つですね。
ゆったりと大きめのシートの並ぶ客席は
詰め込みすぎず実に心地よい空間で、
役者さんの仕草からお顔の些細な表情まで
しっかりと見ることができます。
バリアフリーも徹底しておりお脚の悪いご年配の方々も
誰もがウキウキと楽しそう♥
目の前で次々に繰り広げられる大きな仕草の物語に
笑ったり、泣いたり、驚いたり、拍手をしたり
アッという間に終演の時間となりました。
今回、印象に残ったのは松本幸四郎さんが演じた
”髪結新三(かみゆいしんざ)”という演目
罪人上がりの小悪党新三が、娘を誘拐してお金をせしめようとするお話です。
髪結いの仕事をしている新三は、
江戸時代を忠実に再現した
藍染の粋な身なりに仕事箱を携えて
舞台の上で器用に髪をなでつけます。
その仕草こそ役者の見せ所のひとつと言えるのですが
ハンサムな幸四郎さん、さすがですね。
髷(まげ)を結ぶこよりをサット抜き取り
鬢付け油をチョンチョンと手につけては髪に撫で付け
悪事を心に目算しながら、
ちょっといきがった悪の新三役を見事に演じ
オーラタップリ 本当に見入ってしまいました。
ここで、新三が使っていた江戸時代の鬢付け油のお話を少しいたしましょう。
『 伽羅の油 』
徳川家康が長い戦乱の世に終止符をつけ幕府を新たに江戸に定めると
関西を中心に栄えて上方文化は江戸に向けて流れ込んでいきました。
日本は250年にもおよぶ泰平のときをむかえて
庶民の生活も豊かになり
香りの楽しみはさらに広まっていくことになります。
江戸時代の風俗に大きな影響を与えたと思われる文化に
”浄瑠璃“と”歌舞伎”があります。
舞台で舞う華やかな芸人の化粧法は、
観客である人々にも憧れを抱かせ
「装う」ことへの新たな関心を生み出しました。
当時流行した一節に、このような文句があります。
「薫れるは 伽羅の油か 花の露」 1656年「玉海集」より
“伽羅の油”とは、
極上の匂い入り鬢付け油のことで、
武士に仕える奴などが威勢を張るためにロウソクから流れ出たロウに松脂を加え、
頬ヒゲに塗ってピンとさせたことより始まります。
この油に丁子や白檀、ごま油などを配合して香り良い髪結い油が作られました。
この油は、髪型を固定するのに大変都合よく広く大衆に受け入れられて
江戸そして京都の多くに伽羅の油専門店が出現しました。
江戸時代には島田髷や丸髷など多数の髪型が誕生しており、
伊達な男女にとって無くてはならないオシャレの必需品だったといえるでしょう。
江戸の伽羅の油売り
伽羅の油の製法
「大白唐蝋十両、胡麻油(冬は一合五勺・夏は一合)。丁子1両、白檀一両、山梔子二匁、甘松一両、この四色の薬を油に入れ、火をゆるくして練る。二日目に蝋を削りて入れ、火を強くして、黒色になるほどに練りつむる。焦げ臭くなるとも、湯せんの時、その匂いは退く成り。良く色付けたるときあげて冷まし、竜脳二匁、麝香三匁、入れて良く混ぜ合わす。」
「女日用大全」より
伽羅というのは香木の中でも最上品質を誇る沈香のことで、
庶民の手の届かない憧れの対象でした。
やがて“高級なもの””素晴らしいもの”の代名詞に
この言葉がつかわれるようになっていきます。
鬢付け油の”伽羅の油“という名称も、
伽羅木の香りの良さと高級なイメージを重ね合わせて、
鬢付け油の商品価値を高めるためにつけられたのでしょう。
町人文化が花開いた江戸時代
歌舞伎座での一夜は、人情厚い人々が生き生きと暮らしていたその時代へと
タイムスリップしたかのよう
何もかも忘れてお芝居に没頭した楽しき時間となりました♥
2014年 4月7日
イギリスを旅すると片手で軽く握れるサイズの小さなりんご
”クラブアップル” を目にすることでしょう。
街の果物屋さんやバスの休憩所の売店などに
きれいに並べられた 青や真っ赤な小さなりんご。
人々はお水替わりにちょうど良いサイズのこのりんごを
シャリッシャリッとかんでは喉の渇きを潤します。
私もロンドンからオックスフォード、ノーフォークへと北上する旅の途上、
揺られるバスの中で甘酸っぱいこのリンゴをかじり、
その爽やかな香りに浸りながら異国を旅している実感に浸ったものです。
そんなりんごの季節も
春の到来とともに終わりへと近づいてきました。
今日は食べきれずに残ったりんごでアップルジェルをつくりましょう。
透き通った べっ甲色のジェリー とても綺麗ですね♥
これはザクザクと、種もすべて丸ごとカットしたりんごをゆっくり3時間ほど火にかけ
一晩かけてガーゼで越してトロリと煮たもの。
りんごのペクチンの働きでゼラチンをいれなくても自然に固まります。
ヨーグルトにかけたり、紅茶に入れたり
リンゴの香りと上品な甘さを閉じ込めたジェリーは
美しいきらめきに生まれ変わりました。
ぜひぜひ、お試し下さい。
このジェルは、大好きな ”ターシャ・テューダー” さんのDVDにも
登場するレシピです。
何か事が行き詰まり、思うように進まない時
私は良くターシャのビデオを流します。
すると、不思議なことに心の曇が少しずつ少しずつ薄まり
ふたたび原点へともどれるように感じるのです。
彼女の心に響くいくつかの言葉をご紹介しましょう。
「・・・時間をかけるということは
それだけたくさんの愛情をそそぐということ・・・・」
「・・・一番のコツは、
近道を探そうとしないこと・・・」
「・・・自分の理想を貫くには
忍耐強く生きること・・・」
56歳でアメリカ・バーモントの田舎の山奥に
18世紀風の家を建てて一人暮らしを始め
見事なナチュラルガーデンをつくりあげたその生き方は、
わたしに多くのことを学ばせてくれるのです。