雪月花
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その61「日本の香り事始め 3~飾る~」五節句・上巳

2016年4月10日

 

『日本の香り事始め』     供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                      身に纏う

 

 

 

 

『日本の香り事始め』 ~その参「飾る」~

 

あなたの記憶の扉を開いてみると、

幼い日から積み重ねてきた

多くの香りの印象が刻み込まれていることでしょう。

 

人間がいてそして自然がある

という西洋の考え方に対し、

自然とともに人は存在する

という東洋的思想の中で暮らしてきた私たちにとって、

自然と共に歩むことは当たり前のことであり

また、大きな喜びでもありました。

 

知床つめくさ

 

四季の移り変わりとともに食卓を彩る旬の素材、

順番を待つように咲き始める花々、

山肌を眺めれば芽吹きから若葉そして成長し枯れ落ちるまでの樹々の営みに

人の一生を重ね合わせることもあったことでしょう。

 

季節を大切に過ごす

日本の人々に継承されてきた五節句の風習には、

自然からはなたれる芳香があふれているのです。

 

お教室で制作してきた様々な室礼飾りを振り返りながら

四季折々の日本の香りを

ご一緒に思い浮かべてみることにしましょう。

 

 

三月三日(上巳・じょうし)

「ふくら雀の香り雛」

ふくら雀の香り雛

春を迎えての待ち遠しいお節句“ひな祭り”。

 幼い頃、ひな壇に行儀よく並べられたお雛様を

飽きずにジッと見つめた思い出がある方も多いことでしょう。

天より舞い降りた招福鳥に、

天冠・玉冠をあしらって愛らしい『香り雛』を作ります。

幸せの訪れを願いふっくらと膨らんだ身体には、

神聖なる白檀や桂皮・丁子・零陵香などを調合して詰めました。

有職飾り「桜の平薬(ひらくす)」

有職造花・桜の平薬(ひらくす)

  

柔らかな若葉とともに

日本列島を南から北へと埋め尽くしていく山桜。

甘い花の蜜を求めて枝から枝へと飛びかう小鳥とともに、

輝く春の微笑ましい情景を平薬に表現してみましょう。

本物と見紛うほどに愛らしい“トミカ製 メジロのヒーリングバード“

を添えてそのさえずりに耳を傾ければ、

自然の野山の情景が浮かび上がってくることでしょう。

「桜舞う日のポプリ」

桜舞う日のポプリ

粗塩に様々な香りの材料を

漬け込んでつくるモイストポプリは、

十八世紀のフランスで盛んにつくられた

香りの楽しみ方です。

熟成期間は2~3ケ月と長くかかりますが、

粗塩には腐敗をふせぎ香りを保つ力があるので

数十年も香りを楽しむことができるでしょう。

ドライポプリでは決して生み出せない、

甘く女性的な芳香がこのポプリの魅力です。

今回は

“桜の塩花漬け”に

様々な香料を調合して仕上げました。

めでたい日の桜茶につかわれる桜の花漬けは、

お湯を注ぐとユックリと開き始め

桃色の花びらが優雅にユラユラ揺れる様がとても美しいですね。

これは摘み取った桜の花を

塩漬けし梅酢を加えてつくられていますので、

ポプリが完成したばかりは

梅酢の香りが強く感じられるかもしれませんが、

飾っていくうちにそうした香りは抜け

爽やかな桜本来の優しい芳香が残ります。

ピンクの色合いが大変きれいですね。

「桜の香り花びら」

桜の香り花びら

マシュマロ粘土に

桜のオイルを練り込んでつくった桜の香り花びら。

薄く成型するほどに

ヒラヒラと風に舞い散る桜のような

繊細な花びらに仕上がることでしょう。

桜のポプリに一ひら添えて、

桜吹雪の樹の下にソッとたたずむ喜びを演出します。

「紅白折り形の上巳節句飾り」

20160209_143739

紅の奉書紙と

白の檀紙で折りあげた華やかな吉祥飾り。

蝶の折形には雄と雌がありますが、

今回は女の子の節句に合わせ

雌の蝶形に整えました。

紅白梅の花枝と

優しい色合いで組み上げた稲穂結びが、

穏やかな春の日のお節句を祝福します。

2016年05月07日 up date

その59「日本の香り事始め 3 ~飾る~」五節句・人日

20130720_191506(0) 2016年3月26日

 

『日本の香り事始め』     供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                      身に纏う

 

 

 

 

『日本の香り事始め』 ~その参「飾る」~

 

あなたの記憶の扉を開いてみると、

幼い日から積み重ねてきた

多くの香りの印象が刻み込まれていることでしょう。

 

人間がいてそして自然がある

という西洋の考え方に対し、

自然とともに人は存在する

という東洋的思想の中で暮らしてきた私たちにとって、

自然と共に歩むことは当たり前のことであり

また、大きな喜びでもありました。

 

知床つめくさ

 

四季の移り変わりとともに食卓を彩る旬の素材、

順番を待つように咲き始める花々、

山肌を眺めれば芽吹きから若葉そして成長し枯れ落ちるまでの樹々の営みに

人の一生を重ね合わせることもあったことでしょう。

 

季節を大切に過ごす

日本の人々に継承されてきた五節句の風習には、

自然からはなたれる芳香があふれているのです。

 

お教室で制作してきた様々な室礼飾りを振り返りながら

四季折々の日本の香りを

ご一緒に思い浮かべてみることにしましょう。

 

 

一月七日(人日・じんじつ)

 

日々の暮らしの大きな節目となる「お正月」

日本人はこの日を一年の初めとし様々な「室礼」

をほどこしてきました。

中でも特に”松”は神聖視され、

その威風堂々と風格あふれる存在感は

他の植物にはない特別なものといえるでしょう。

「松と白椿の新瑞飾り」

松と椿の新瑞飾り2

 

日本の美とは、

装飾をギリギリまで取り払い

原点へと立ち戻った姿に生まれるのかもしれません。

緑と白のみで構成したこの清らかなる依代に、

恵みをもたらす神霊が舞い降りて来てくれますように・・・。

 

 

朝日が昇り光が満ちていくような色彩が美しい扇面には、松と白椿の新瑞飾り

青海波の文様が描かれています。

半円形の波の繰り返しが、

幸せが次々に訪れることを暗示する吉祥紋の一つです。

 

有職飾り「人日のお飾り」

新年1a

有職造花は、

室町時代から京都御所を中心として発達した

といわれている“絹の造花”で

御所の宮廷行事

とりわけ五節句の節会などに飾られました。

今回は香を詰めた薬玉をあしらった

平薬(ひらくす)」と呼ばれる有職飾りを再現してみましょう。

平薬には

薬玉と季節の草花に

淡路結びを施した六色の組紐

が添えられます。

常盤木の松から発せられる針葉樹の清冽な芳香は、

寒気のなか蕾をほころばせる紅白梅の

清らかな香りと合い混じり、

新年を迎える静粛な場面にふさわしい

香りを放つことでしょう。

 

「妖精のポプリ」

野菊

菫・スズラン・ミモザ・デイジーなど

春の野の草花を盛り付け

ハッカやバーベナ・ハニーサックルなど

妖精の大好きな香りをつけたポプリです。

_59G0230_4

春のお祭りイースターを意識して

中身を抜いた卵を

パステルカラーの染料で色付けし添えました。

小さな卵は

若い鶏が初期に生む未熟な卵。

鳥の羽根や木の実・綿毛、

そしてなんだか解らない

不思議な木の種やサヤなども

飾ると楽しい空間を演出できるでしょう。

春の喜びをたくさん集めた

「妖精のポプリ」です。

 

 

2016年03月26日 up date

その57 「重陽の節句飾り・茱萸囊(しゅゆのう)」

 

 

 

20151110_164808

2016年2月

 

お教室で製作しました菊の節句飾りをご紹介します。

 

「茱萸囊(しゅゆのう)・別名ぐみ袋」は、

五節句の一つである9月9日の

「重陽の節句」に飾られます。

 

20160113_123219  20160212_140801

 

 

美しい裂地は古布店で見つけた時代物の帯地

松模様の中に

長い尾をひるがえした2種の鳥が舞い飛んでいます。

 

造花には菊花とグミをとり合わせるのが決まりですが

グミの造花はありませんので、

枝に赤い実を取り付けグミ枝を制作しました。

 

収納を考えて、

造花部分は取り外せるようにしておきましょう。

 

20160209_163821

飾り紐は、

裂地に合わせて”えんじ色”に染めていただき

格調高く房を「編みかけの房頭」に仕立てました。

 

 

 

嚢のデザインは、絵師酒井抱一

「五節句図・重陽宴」を参考として縦長に。

 

 

 

 

 

茱萸嚢(しゅゆのう)のいわれをご紹介しましょう   

 

秋の深まりとともに色づきはじめ、

グミやクコのようなプルンとした赤い実をつける

“山茱萸/さんしゅゆ”。

 

古代中国では99日の重陽節に、

実のついた山茱萸の枝を頭に挿して小高い山に登り、

気持ち良い秋の風に吹かれながら

菊酒を飲んで災いを払う風習がありました。

 

これが日本へと伝わり奈良平安時代の宮中では、

菊花と赤い実をつけた山茱萸の造花を

あわじ結びを施した美しい袋に飾る

茱萸嚢が作られ、

翌年の端午の節句の薬玉飾りと掛け替えるまで

自邸の御帳台の柱などに吊るし魔除けとしたのです。

 

 

 

 

茱萸嚢の中には

乾燥した呉茱萸/ごしゅゆ”の実をおさめます。

 

20160209_163712

 

呉茱萸とは、

その葉が井戸に落ちると水毒を消し去ることができると伝えられるほどに

薬効が高い漢方薬の生薬で、

未成熟な果実を乾燥し

1年以上寝かせその毒性を弱めてから処方されました。

ピリッとした独特の強い芳香には、

虫を遠ざけ毒を消し去る力が秘められおり、

辛みが強い程に良品といわれ邪気や病い

湿気までを取り除く力がみなぎっているとされています。

 

 

 

 

ミカン科の落葉小高木

神農本草経に収蔵

ピリッと刺激のある独特な芳香をもつ

頭痛・嘔吐・健胃などに効果を発揮

別名 / ニセゴシュユ・カラハジカミ

 

 

20160209_163632    漢方薬店から取り寄せたゴシュユ。

袋を開けると、じつにクセの強い芳香に驚かされるでしょう。

 

しかしミカン科のせいだからでしょうか。

嗅いでいるうちにどことなく

馴染のある香りのような感じがしてきます。

 

今よりももっともっと寒かった日本の冬に

家族とみんなで一緒に炬燵に入り

寄り添って食べた

固くて青い、おもいっきりスッパいミカンの

はじけるような懐かしい芳香が

ふと思い出されました。

 

20160209_160905

 

いつまでも大切にしていただけるように

紐付きの桐箱に収め完成といたしましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年02月09日 up date

その54「日本の香り事始め 2 ~くゆらす~」

2015年12月25日

 

     『日本の香り事始め』   供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                        身に纏う

 

その弐 ~「くゆらす」~

 

~源氏物語・梅枝の巻~

「源氏物語」の「梅枝の巻」には、

源氏の娘である明石の姫君が東宮に入内することとなり、

持参させるための薫物の調合を

四人の女性たちに競わせるという話が綴られています。

 

平安時代の香りの主流は

練り香」と呼ばれるものでした。

渡来ものの様々な香料を粉末にして調合する練り香は、

微妙な匙加減で香りに変化が生じます。

平安貴族にとって優れた薫物をくゆらすことは、

香りを聞いたその一瞬で

その方の身分から人格・教養までを表現してしまうほどに重要なことだったため、

人々は優れた香の調合にいそしんでいました。

 

この薫物合わせに参加した四人の女性たちは、

それぞれの人となりを表すかのような香を調合し

源氏の君を喜ばせます。

 

 

 

朝顔斎院・・・女同士の嫉妬に巻き込まれるのを避け、

最後まで源氏の愛を拒み続けた“朝顔斎院”は、

もっとも格の高い「黒方(くろほう)」を

じつに趣きある伝統的な香りに仕上げました。

フォーマルで正統といえるその芳香は、

高貴な生まれに育った

芯の強い朝顔斎院にふさわしいといえるかもしれません。

 

紫の上・・・“紫の上”の調合した「梅花(ばいか)」は、

梅の花になぞられた華やかな仕上がりとなりました。

作者である紫式部は、

源氏の寵愛を誰よりも受けたといわれる紫の上に、

当時もっともモダンで注目に値する梅の香をつくらせ

美しいこの花にふさわしい女性であることをしめしたのでしょう。

白梅の花

 

花散里・・・また、すべてにおいて控えめに、

源氏をジッと待ち優しく迎える女性“花散里の御方”は、

夏のしめやかなる香り「荷葉(かよう)」を調合しました。

荷葉とは蓮の葉のことで、

夏の厳しい暑さの中、涼やかさを印象づける芳香です。

その調合にある“安息香”の処方によって

スッとした清涼感漂うしめやかな香りに仕上がるのです。

京都宇治の蓮花

 

明石の御方・・・そして四人目の女性“明石の御方”は、

いったいどのような香を作られたのでしょう?

じつは姫君の実母である彼女は、

源氏が須磨に隠遁している時に知り合ったお方で、

生まれた女の子とともに京へと呼び寄せられました。

源氏は娘を高い地位の方へ嫁がせようと考えましたが、

それには母親である明石の御方よりも高貴な後立が必要なため、

姫君の養育を紫の上に託することにするのでした。

 

愛するわが子を手放さなければならない明石の御方、

子を欲しいと思うものの授からず

他の女性との子を育てることになった紫の上。

双方にとり胸を痛める現実でしたが、

姫君の愛らしいまなざしに紫の上の嫉妬もおさまり、

やがて母となる喜びを感じるのでした。

 

明石の御方は、

練り香の代表とされる六種(むくさ)の薫物”を調合することを控え、

衣に焚きしめる薫衣香(くのえこう)をつくります。

その行為には、

他の姫君たちよりも劣っている自分の身分を考え

競い合うことを避けた彼女の賢さと奥ゆかしさが感じ取れるでしょう。

 

 

 

源氏の君は薫物合わせの判定を

優れた趣味人である蛍兵部卿宮(ほたるひょうぶきょうのみや)に、

和歌を用いて依頼します。

 

「君ならで 誰かに見せむ 梅の花 色をも香をも 知る人ぞ知る」

                    紀友則「古今和歌集」

~あなたの他に誰に見せよというのでしょうか。

梅の花の素晴らしさを知るお方は、

あなたをおいて他にいないのです。~

 

「知る人にあらずや」

~私は知る人ではありませんがね~

と、蛍宮もまた和歌になぞられ返事をするのでした。

 

源氏の屋敷で行われた風流な薫物合わせの結果は、

どれも優劣しかねるほどに優れたものである

という蛍宮の判定がくだされ、

和やかなままに終わりをむかえます。

こうして源氏の姫君が帝へと入内したのち、

紫の上はこれ以後の後見人に明石の御方をたて、

ふたたび実の母子がともに暮らす時が訪れることになるのでした。

 

 

薫物合わせも終わり、

月の出とともにお酒が運ばれてきました。

寝殿の中は様々な薫香の香りに満ち満ち、

雨上がりの柔らかい風にのって

庭に咲く紅梅の清らかな芳香がしとやかに流れ込み、

何ともいいようもないほど雅な夕暮れとなりました。

源氏物語画帖/梅枝(徳川武術間蔵)

 

親しき仲の楽しい宴も終り、

夜明けに帰るため席を立った蛍宮に、

源氏は直衣一揃いと香の壺を二つ土産として宮の牛車へと届けさせます。

 

「花の香を えならぬ袖に うつしても 

ことあやまりと 妹やとがめむ」

 ~こんなに麗しい梅の香りを袖にうつして帰りましたら、

どこの女君と過ちを犯したのかと、

妻にとがめられることでしょう。~

 

と、礼を和歌をしたためた蛍宮に対し、

「随分、恐妻家なのですね」と笑う源氏は

使いの者に返歌をたくします。

 

「めづらしと ふるさと人も 待ちぞ見ん

               花の錦を 着て帰る君」

~珍しいことと家の人も待ち受けて見ることでしょう。

梅の花の錦を着て帰られる貴方さまを~

 

春まだ浅い二月十日、

清らかな薫物や庭に咲き競う梅の花の香りに包まれた一日が

こうして終わりを告げるのでした。

 

しかし実はこの時、

蛍宮は長年連れ添った北の方を亡くされたあとで

帰っても迎えてくれる妻はいなかったのです。

その寂しい心情を覆い隠して歌にした宮に対し、

源氏もまた彼の心に思いを馳せつつ歌をおくったのでした。

ともに風雅を愛する男たちの、

知的な交流がみてとれるでしょう。

 

 

「源氏物語」は多くの登場人物とともに

それぞれの多様な人生模様が描かれていますが、

作者”紫式部“はそれらの場面を具体的な言葉で表現するだけでなく、

じつに効果的に香りをくゆらせ

より情感豊かに言わんとしていることを伝えているのです・・・。

 

 

 

 

 

2015年12月25日 up date

その53「日本の香り事始め 1 ~供える~」

2015年11月

  

   『日本の香り事始め』   供える

                     くゆらす

                      飾る

                      清める

                      身に纏う

 

 

 

 

『日本の香り事始め』 ~その壱「供える」~

 

日本は古来より

中国や朝鮮などアジア諸国の文化を取り入れてきましたが、

その中でもとくに大きな影響を受けたのが

仏教の伝来”でしょう。

そして、このできごとが

日本に“香りの文化”を根付かせることにつながっていきます。

 

香木が生育しない日本において

生まれてはじめて嗅ぐ沈香や白檀の香りは、

なんとも神秘的で経験したことのない陶酔感へと誘うものでした

 

 

~   仏教の伝来と香  ~

 

まだ日本という国名はなく

「倭の国」と呼ばれていた時代、

海を渡ってきた異国からの使者が、

飛鳥の地の天皇のもとへと訪れます。

 

「・・・欽明天皇7年(538年)

百済の聖明王の使いで訪れた使者が

天皇に

金堂の釈迦如来像一体と経典数巻・仏具などを献上した・・・」

 

果たしてこの瞬間より、

日本という国に

仏教という教えが根付いていくことになるのでした。

 

仏教の生まれた国 “インド”は

大変に暑さが厳しい国として知られていますが、

住まいを清潔に保ち自身の体臭を消すために

殺菌作用のある香料を用いる風習がありました。

 

もともと多くの芳香植物に恵まれた土地柄もあり、

紀元前6世紀頃にお生まれになった

お釈迦様の時代以前から

香の使用は欠かせないものとなっていったのでしょう。

 

故に日本への仏教の伝来は、

インドで培われてきた香料の伝来でもあり

日本人は今まで触れたことのなかった香りの世界を体験することになったのです。

 

 

~  香木の漂着と聖徳太子  ~

 

日本最古の歴史書「日本書紀」や

聖徳太子の生涯をまとめた「聖徳太子伝暦」には、

このようなお話が記されています。

 

 

「・・・推古天皇3年(595年)春、

土佐の沖合いに毎夜、雷鳴とともに大きな光が現れました。

それから30日を過ぎた頃、

淡路島の岸辺に2メートル以上もの大木が漂着するのでした。

島民がそれを薪としてかまどにくべたところ、

なんともいえず高貴な香りが立ち上り

驚き朝廷へと献上します。

この不思議な大木をご覧になった聖徳太子は、

すぐさま“これこそ沈水香というものなり”と

大いに喜び、

この香木で仏像を刻み吉野の寺に安置するのですが、

それはときおり光を放ったとわれます・・・」

 

この記述は、

日本に香木が伝来したことを伝える最初の記録といわれています。

そもそも“香木”を産するのは

主に東南アジアの熱帯雨林地域の国々で、

日本では生育することができないものでした。

 

香木の原木は

ジンチョウゲ科の常緑喬木で、

傷つくなどの何らかの要因によってある部分に菌が寄生、

さらにその部分を修復するかのように樹脂が分泌・沈着し

時間の経過とともに熟成が進んだ結果、

大変に貴重な香木となるのです。

 

香木は分泌された樹脂の重みによって比重がかさむため、

その昔よく木が枯れて倒れ水中に沈んだ状態で発見されました。

そのために “沈む香木”、“沈水香”、”沈香“と

呼ばれるようになっていったのです。

 

淡路島に漂着した香木は、

嵐に合って難破した

南方船の積荷のひとつだったかもしれません。

仏教の伝来と共に

儀式に用いる香の知識を得ていた聖徳太子は

この漂着を神が与えた瑞兆ととらえ、

その後さらに日本での仏教の普及に力を注いでいくのでした。

 

それでは仏教の世界でどの様に香りが用いられているか

「十種供養」と呼ばれる供養の方法からみていくことにしましょう。   

 

十種供養   

  華 ・ 香 ・ 瓔珞(ようらく) ・ 抹香 

  塗香(ずこう) ・ 焼香 ・ 幡蓋(ばんがい)

  衣服 ・ 伎楽(ぎがく) ・ 合掌

 

以上が法華経の十種供養の項目ですが、

そのうちなんと4つに香りがかかわっています。 

 

仏教でいう供養とは、

私たちが良く知っている焼香などのように

仏前に香をたむけることのほか、

花などの美しい供え物をすること、

お寺に瓔珞(ようらく・仏の身を飾る装身具)や

幡蓋(ばんがい・仏堂を飾る装飾)を奉納すること、

また伎楽など舞踊劇を捧げることも供養のひとつとして数えられました。

 

仏教は信仰だけでなく

建築から彫刻・工芸そして音楽や舞踊など、

当時最先端だったあらゆる芸術と関わっていたのです。

 

なかでも仏前に良い香りを漂わせることは

非常に大切なことで、

香りは心を鎮め神仏との特別な交流の場をつくりだすものでした。

香料のもつ抗菌作用や昂進鎮静作用によって、

仏前は清らかになり

儀式は厳かな雰囲気へと変化していったのでしょう。

私たちは、現在亡くなられた人を慰問するとき

“香典”としてお金を包んで行きますが、

古代インドでは死者の弔いに使用する

“香”そのものを参列者が持参していくというのが本来の習わしでした。

仏陀が荼毘にふされる際には

じつに大量の白檀が用いられたと伝えられますが、

現在でも火葬のおりには香木が焚かれます。

豊かな者は薪として

貧しいものは少量の白檀片が投じられ、

死者の魂は神々が喜ぶ香りと共に

ガンジス川の流れにのって来世へとむかうのでしょう。

 

仏前では、

焼香や線香などが故人に対してたむけられますが、

材料となる白檀には

非常に高い殺菌力があり毒を消す力が秘められているのです。

 

 

~  香染めの袈裟  ~

 

最後に僧侶が身につける袈裟のお話をしましょう。

もともと袈裟とは、

香料で染めた香染め“の香衣が本来の形でした。

 

古くは木蘭(もくらん)という

香る樹の皮で染めていましたが、

次第に丁子を煮出して染めたものを香染めというようになります。

香染めは鈍い黄褐色で

僧侶の袈裟として紫についで位の高いものでした。

京都の知恩院では、

12月の“お身拭い式”の行事で

“香染めの羽二重”の布を用い

御尊像である法然上人の像を拭い清めるのです。

 

 

※このように仏教の世界は

香りに彩られているといっても過言ではないでしょう。

奈良に都があった飛鳥時代は、

こうした新しい教えや香りの文化が

日本に根をおろしたといえる時代だったのです。

 

 

 

 

 

 

2015年11月18日 up date
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