
2014年 4月23日
日本のアロマ業界を牽引しています
公益社団法人 日本アロマ環境協会
季刊誌「AEAJ」No.71 春号(2014年3月25日発売)に
文章を寄稿しましたので、ご覧ください。
『ストーリーのある香り』にて、カリロクの実を取り上げました。
皆さま、カリロクという名称を聞いたことがあるでしょうか?
不思議な名前を持つこの植物をここで少しご紹介したいと思います。
訶梨勒(カリロク)
『その昔、幻と言われた訶梨勒(カリロク)の実は、
スッとしたニッキのような芳香をそなえていますが、
香料としてだけでなく薬としての価値も高いものでした。』
和名 訶梨勒(カリロク)
英名 Mylobalan(ミロバラン)
学名 Turmeric Chucumba
シクンシ科の落葉高木樹
原産地 インド・ミャンマー
ナツメのような楕円形の実はピリッと鼻の奥を心地よく刺激する甘い香りが漂います。
現存する日本最古の医書として国宝に指定されている「医心方(いしんぼう)」は、
平安時代の宮中医官”丹波康頼(たんばのやすより)”
が中国隋・唐代の百数十にもおよぶ文献を引用してまとめあげ、
982年朝廷へと献上した全30巻の医学全書です。
その記載のなかに「呵梨勒丸(かりろくがん)」(※医心方にはこの文字があてがわれています)という薬名がでてきますのでご紹介しましょう。
※国宝指定名称 「医心方(半井家本)」30巻
紙本墨書 平安時代12世紀 東京国立博物館蔵
※「全訳精解 医心方」全33冊 槇佐知子翻訳 筑摩書房
インドの神様・帝釈天(たいしゃくてん)の処方と伝えられるこの秘薬は、
“一切風病(いっさいふうびょう)の治療薬”として
カリロクの果皮に人参や大黄・桂心など13種類の生薬をあわせ
蜂蜜で練って丸薬としたものです。
風病というのは、神経や臓器に様々な病をひきおこす万病のことで、
すきま風のようにスッと人間の身体に邪気を送りこみ、
頭痛・発熱・脚気や中風などをひきおこすため
「風は百病の長なり、その変化するに至って他病となる」と恐れられました。
この処方のカリロクの分量がとくに勝っているわけではないのに
薬の名称とされている事から、
この実がいかに珍重されていたかがわかるでしょう。
この本にはまた、麝香などの香料を調合した匂袋で鬼を避ける方や、
妖怪や毒虫・虎を遠ざける方、
そして修行者が薫りたかい調合香を服用して体臭を芳しくし
修行の妨げとなる欲望をたちきる方
などたいへん興味深い方術も記されています。
その姿や成分は丸薬と大変よく似ており、
植物の茎根や種などを乾かして粉にし作られます。
様々な素材を微妙に配合し
薬効高い薬やかぐわしい香を生み出した
古代人の知恵に大変驚かされますね。
奈良時代、身体が弱かったと伝えられる聖武天皇を気遣い
朝廷には様々な妙薬が集められました。
天皇崩御後、皇后によってそれらは東大寺正倉院へと納められましたが、
宝物目録のひとつ「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」には
そうした異国からの植物・動物・鉱物性香薬が一巻にまとめて記されています。
仏教伝来にともない神聖な儀式に不可欠なものとして渡来した
沈香・白檀・丁子・桂皮などのさまざまな香料は、
生きるうえでなによりも大切とされた薬と同様に管理されてきました。
なぜならば神々がことのほか愛する香料植物には
人知の及ばない不思議な力が宿っており、
それらは人の病をも癒すと考えられていたからです。
天平時代の香料は、
生薬としての役割も高く大変に貴重なものだったといえるでしょう。
やがて霊験高いカリロクの実をおさめた袋を御簾や柱にかけたり、
その形を象牙や石でかたどり飾ることで邪気を払う風習が生まれ、
さらに時代が下り室町になると美しい白緞子や白綾などで仕立てた
華やかな掛け香“訶梨勒”が製作されるようになります。
袋の中に納める実は12個で”うるう年”には13個にすると伝えられました。
五色に染められた組紐をスッと長く垂らしたなんとも雅なこの掛け香は
茶席びらきや祝儀などの折に床柱や書院に飾られ、
その神秘的な馥郁たる芳香をはなって
集う人々の心身までを浄化していくのでした・・・。
※縁起の良い蝉型に仕上げた「蝉のかりろく」
品格あふれる名物裂で仕立てました。
2014年3月23日
東京に桜開花の知らせが届きました。
今日は、知人のお弟子さんの 茶名披露 のお茶会です。
品川のグランドプリンス新高輪の
広大な日本庭園の中にある茶寮「恵庵」。
静かな佇まいの山門を抜けると、観音堂へと道は続きます。
朱塗りの美しいこのお堂は、
奈良県生駒の長弓寺にあった三重塔から移築されたもの。
思いがけず御開帳されており、
ふっくらと丸いお顔の十一面観音様にお会いできました。
春の爽やかな風が堂内に吹き込まれ
観音様も気持ちよさそう。
数寄屋造りの広間で、高知県のゆず酒と
季節いっぱいの懐石をいただきます。
濃茶席の床には、
祝いの日にふさわしい『万々歳』のお軸が掛けられ
広い板床には 「瓢(ひさご)型の香合」
そして、真の花器「下蕪(しもかぶら)型の青磁壺」に生けられていたのは
姿の良い牡丹のお花。
島根県の大根島から取り寄せたというこの見事なボタンは、
ギュッとしまった固い蕾から
紫がかった濃き紅色 をソッとのぞかせておりました。
柔らかい若緑の萼に包まれたお花を眺め
振袖でお点前なさるお弟子さんの初々しい姿に触れるうち、
花開く前の夢や希望にあふれていた若き日々が思い出されます。
けっして平坦ではなく ”生きるって大変” と感じていた20代。
今でも悩みがないわけではありませんが
歳を重ねていくうちに学んだことは、
出来事にはすべて何らかの意味があるという事でしょうか。
そしてその苦しみは、
自分が成長する上で必要なことだったと思えるようになれたなら
それはステップを一段クリアできたという証かもしれません。
小石をひとつずつ積み重ねるように
学びを繰り返していくのが人生というものなのでしょう。
お薄のお席には、
「宝尽くし」の絵柄の四方盆に「春霞」と「飛蝶」のお干菓子が。
何もかもおめでたく、
柔らかい春の陽差しのようなお茶会となりました。
最後に、いつもご一緒して頂く友人とつくばいの前でパチリ。
企業の社員カウンセラーと茶道教授という
多彩なお仕事をなさっている彼女は
いつも落ち着きある物腰で
なぜか合うだけでホッとできる大切な存在です。
2014年3月20日
寒かった冬もようやく遠ざかり、暖かい日が続くようになりました。
さあ、桜の季節ですね。
やさしい春の陽射しとともに日本列島を南から北へと埋め尽くしていく桜の花。
今年はそんな輝く季節の訪れを、
美しい桜色の花結びに託してお届けします。
左から「総角結び(あげまきむすび)」、次に左右に6つの輪の「六葉結び」
そしてまた「総角結び」最後に房の上に「こま結び」をほどこし房を解いて完成です。
花結びは紐を切らずに上から順に仕上げていきますが、
今日は桜色と白の江戸打紐をそれぞれ3メートル使いました。
長い紐だけでこんなに美しいお飾りができるなんて良く考えられていますね。
じつは、私たちが日常なにげなく行っている”むすぶ”という行為には、
深い意味が含まれていることをご存知でしょうか?
今回は、ひもを結ぶ・手を結ぶ・契りを結ぶ・印を結ぶ
など多くの表現に用いられてるこの言葉に隠されている秘密を
探ってみることにしましょう。
宮中儀式「鎮魂祭」(ちんこんさい・みたましずめのまつり)
日本の皇室には、私たちの目に触れないたくさんの儀式があり
それらはいまだ神秘のベールに包まれているといえるでしょう。
11月23日に執り行われる「新嘗祭(にいなめさい)」は、
その年に収穫された穀物に感謝を込めて神さまにお供えし、
天皇自らもはじめて口にされる宮中儀式です。
農耕民族である日本人にとって最も重要とされるこの儀式の前日、
「鎮魂祭」は赤々と焚かれる篝火の中、執り行われます。
「宇希槽(うけふね)の儀」・・・伏せた宇気槽と呼ばれる箱の上に巫女がのり、唱えごと を繰り返しながら鉾でその槽を10回撞く
この所作の起源は、天岩戸神話にあります。
太陽神である天照大神が岩戸にお隠れになったことで地上は暗闇となってしまいました。困った神々は賑やかな祭りをすることにします
。踊りの上手なアメノウズメノミコトは、宇希槽の上で鉾をもって撞き鳴らし肌もあらわに舞い踊ります。
そのあまりの賑やかさに岩戸をソッとあけた大神を力の強い神様がグッと表へと引き出し、再び地上に太陽の光が満ちるのでした。
この神話にある天照大神の復活にあやかり、
天皇の生命力を蘇生させるためこの儀式は行われます。
ちょうどこの時期は太陽の力が弱くなる冬至にあたり、
活力をふたたび高めるという目的があるのでしょう。
たらいを伏せたような槽の上で舞うアメノウズメノミコト
「糸結び」・・・神祇官人が糸を10回結び箱に納めます
古来より”結ぶ”という行為はたいへん神聖な行いで、
魂をモノに密着させると信じられていました。
糸を結ぶことにより新たに誕生した魂をしっかりつなぎ止める、
という意味があるのです。
「魂振(みたまふり)の儀」・・・女官蔵人が天皇の衣を納めた箱の蓋を開き10回振動させる
天皇の形代としての御衣をゆすることで不安定な魂を覚醒ししっかりと定着させます。
「鎮魂祭」は、このような流れで執り行われるとても謎の多い儀式ですが、
これらは天照大神の子孫としての皇室に継承されてきた
物部氏由来の死者も蘇るといわれるほどの秘術と伝えられているのです。
※鎮魂とは、一般に死者の霊をなぐさめる意味に使われますが、
もともとは生きている人の魂を身体に鎮める儀式につかわれる言葉でした。
この大切な祭祀に結ぶという行いが含まれていることに
大変興味がわくことでしょう。
祭祀は寒さの中2時間近くの正座を余儀なくされるため、
鎮魂祭が近づくと天皇は意識して正座の練習をなさりいどまれるということです。
こうした事実を改めて見てみると、
日本の皇室とは儀式を忠実に継承し行うために存在しているともいえるでしょう。
ここで、結ぶという事の意味をもう少し深く探ってみましょう。
古代から人は、草や木の皮をよった紐で縄を作り、
結び目を施して狩りや生活の道具に利用してきました。
文字のなかった時代には、紐の色や太さ、結び目の位置や結び方が、
数を表し意思を伝える手段でもあったのです。
インカ帝国のキープ(結縄・けつじょう)
王や役人はキープに、住民の数や穀物の種類生産量さらに
裁判の結果までを記しました。
文字のなかった時代、結びは記録する手段として重要な役割を担っていたのです
次に万葉集にある有間皇子(ありまのみこ)の和歌をみてみましょう。
~岩代の 浜松が枝を 引き結び
真幸(まさき)くあらば また還り見む~
(岩代の浜松の枝を結んでいきましょう。
もしも願いがかなったならばこの枝を再び見ることができるでしょう)
枝と枝をヒモで結びつけることは
旅の安全や命の無事を祈るまじないのひとつでした。
孝徳天皇の皇子である有間皇子は、権力争いに巻き込まれた末、
罠にはめられ18才という若さで命を落とします。
囚われの身となり紀伊へと送られる皇子は、
その道筋で松の枝を引き寄せて結びつけ再び戻れることを祈ったのでしょう。
現在熊野古道を行くと、この悲劇の皇子を忍び「結び松の碑」が建てられています。
また、仏教が伝来すると仏前を飾る複雑な結び方が伝わり、
美しい結びはやがて平安時代の貴族の衣装や御簾などの調度品に
飾られるようになっていくのでした。
仏教装飾の華鬘(けまん)
僧侶の袈裟に飾られる修多羅結び(しゅたらむすび)は、
大切なお経が散らばってしまわないように結びにしっかり閉じ込めるといわれます。
そして鎌倉になり武士の台頭する時代になると、
紐結びは武具に多用されるようになります。
無防備な鎧の背には総角結び(あげまき)の「人型」が飾られ、
矢が入ることを避けて命を守る魔除け・護符とされました。
さらに千利休の登場する室町時代になると、
茶道の世界で結びは鍵の役割を果たすようになります。
抹茶を入れる壺”茶入”には仕覆(しふく)という布袋が仕立てられますが、
口を閉じる紐には秘密の結びがほどこされました。
当時、茶室は武士の密談する場所でもあり閉ざされた空間での毒殺を避けるため、
解けば二度と結べないような結びが考案されたのです。
やがて世の中が平安となると、
季節の花々や虫などを再現した華やかな結び文化が花開きます。
最後に、ひとつ本をご紹介しましょう。
江戸時代、武家社会では様々な礼法が重要視されました。
足利尊氏の厚遇を得た伊勢貞丈(いせさだたけ)が著した
「包結記(ほうけつき)」
には、進物を紙で包む作法や装飾のための結び方が記されており
結びを解読するバイブルとして大変有名な書物です。
近年、淡交社より復刻版が発行されていますので
興味がおありになる方はぜひご覧下さい。
原本と現代語訳の2冊組になっており
当時を知る資料としても大変楽しい本だと思います。
2014年2月10日
鼻煙壺というのをご存知でしょうか。
鼻煙香の歴史と鼻煙壺( Snuff Bottle )
15世紀末、コロンブスのアメリカ大陸発見にともない
先住民が嗜んでいた煙草の習慣はヨーロッパへと伝わり、
宮廷貴族のあいだで大きな話題となります。
当時タバコには薬効があり気付け薬としてまた
頭痛や喘息にも効くと信じられていました。
さらに同時期、ヨーロッパでペストやコレラなどの伝染病が蔓延したことにより、
疫病予防のひとつの手段としても受け入れられていったのです。
未知の新しい感覚であった煙草は人々の心をつかみ、
1641年にはスペインに煙草製造工場も建設されるようになります。
英国王のためのスナッフボックス
中国へと伝わったのは17世紀中頃で
当初はイエズス会の宣教師によって
清朝皇帝など権力者たちへ贈呈されました。
”鼻煙香”とは、
粉末状にしたタバコの葉に龍脳や麝香などの香料を調合したもので
極少量を小皿や手に受け鼻から吸い込んだり鼻孔にすりつけたりして
その芳香刺激を楽しむものです。
ヨーロッパでは、粉を入れる専用の嗅ぎ煙草入れとして
金銀や宝石などをちりばめた箱型のスナッフボックスが作られました。
しかし、湿気の強い中国では密閉することが必要となり、
薬瓶をヒントに小さな口にコルクで蓋をし
細い匙を差し込んで粉をすくい出す容器が生み出され、
玉や瑠璃・硝子・陶磁器・象牙などを素材とした精工な鼻煙壺が誕生していきます。
なかでも”内絵鼻煙壺”は、
小さな口から耳かきほどの竹製の筆を差し込んで
内側に絵を描くという精緻な技法がもちいられました。
神仏の姿や自然を謳歌する春の花々、
読み仮名が恋につながる蓮、
仙女の愛する果実桃また、
神獣鳳凰や龍
など文様には福を呼び込む縁起の良いモチーフが選ばれ
”掌の上の芸術品”として人気を博しコレクションの対象となっていきす。
やがて海外からの使節にお土産として渡された中国の鼻煙壺は、
ヨーロッパに渡り香水瓶のデザインの元となっていくのでした。
お香屋さんにいくと紫檀や黒檀・桜の木などで作られた
伝統的な円形の塗香入れを見かけることでしょう。
塗香とは、手や身体に香をすり込んで
穢れをはらい清めるためのパウダー状のお香のことを指します。
香の使用が始まったとされる酷暑の国インドでは、
油に白檀のペーストや香る材をいれた香油をつくり
頭痛や発熱のおりに額や身体に塗って熱苦を取り去り
清涼感を得る風習がありました。
なかでも白檀は非常に高い殺菌力をもち、
皮膚を浄化して毒を消す力が秘められているといわれ、
塗香の主原料にもなっています。
私は常々、好みの塗香入れを探してきましたが、
今回硝子の鼻煙壺に出会ったことで
皆さんと一緒に塗香の調合をと思い立ちました。
塗香は神仏や自分の心と向き合うときに使うもの、
故にくだけすぎずまた長く愛用できるものを求めていたのです。
インドで誕生した仏教が日本へとたどり着く道筋となった国・中国の美しい鼻煙壺を器とし、
それぞれの感性をいかしたご自分だけの塗香を調合してみましょう。
2013年12月17日
『京洛四季』「年暮る」東山魁夷 1968年山種美術館蔵
「 去りゆく年への心残り 来たる年へのささやかな期待 」
親交の深かった川端康成から
「いま京都を描いておいていただかなくては」と懇願された東山魁夷は、
古都の四季の景色を残すべく京都を巡る旅へとでかけます。
シンシンと雪の降り積もる夜半の屋根瓦を、
東山ブルーと評される独特の色彩で表現した最後の作品「年暮る」は、
すべての音を吸い込む雪中の静寂の中、
窓辺にともるほのかな灯りが年の瀬の人々の静かな営みを感じさせ
なんとも感慨深い作品となりました。
誰もが一年をふりかえる年の暮れ、
街を歩けば綺麗に清められた家々に常緑の松やしめ縄が飾られ、
新春を迎える日本の美しい習わしに心を打たれます。
今回は、新年を寿ぐ日本人の精神を、
「稲」というかかわりの深い植物をとおして少し考えてみることにしましょう。
『天岩戸の神話』
わが国最古の文献で、
神々による国創りの物語が綴られている『古事記』には、
天照大神(アマテラスオオミカミ)という太陽神が登場します。
ある日、天照大神がおさめている高天原へ
弟である須佐之男命(スサノウノミコト)が訪れます。
しかし、身体は立派な大人ながらも精神的に幼く乱暴者の彼は、
酒に酔って乱暴狼藉を重ねてしまうのでした。
あまりの振る舞いに怒った天照大神は、
“天岩戸”という岩屋にお隠れになってしまいます。
さあ大変、大神の光を失った世界はまたたくまに暗闇となり、
いたるところに悪神がはびこりはじめます。
困った八百万(ヤオヨロズ)の神々は相談をし、
岩戸の前でにぎやかに祭りをはじめることにするのでした。
舞の上手な神様の肌もあらわな踊りにワッと笑いの渦が巻き起こり、
その賑やかさに興味をそそられた大神が
岩戸を少し開いて覗こうとしたそのすきを逃さず、
力持ちの神様が岩戸をグッと引き開けて大神を表へと連れ出し、
まわりに “しりくめ縄” を引きめぐらし戻れないようにします。
するとどうでしょう
真っ暗だった世界がみるみる明るさを取りもどし、
ふたたびこの世に平和が戻ってくるのでした。
この神話に登場する縄が “しめ縄” の起源だといわれています。
縄をはりめぐらすという行為には、
結界を張るという意味があります。
新年の玄関にしめ縄を飾ることで、
家中と外との境界となり災いをはね退け清浄な場を保つことができるのですね。
縄は藁で編まれますが、
農耕民族である日本の稲作は縄文時代からはじまりました。
当初は石包丁で穂のみを刈り取る「穂刈り」でしたが、
弥生時代後半になると朝鮮から鉄鎌がつたわり根元から収穫する「根刈り」となり、
残った稲藁を使って
米俵・草履・むしろや籠など様々なものが作られるようになっていくのです。
お米と同様に精霊が宿っているとされる稲藁で編んだ縄は、
神社や御神木などに飾られるとともに
日本の正月に欠かせない神聖なものとしての役割をになっていくことになります。
お正月のしめ縄に使われる藁材は、出穂前の稲を刈りとって作られるため、
青さの残るその新鮮な香りが大変みずみずしく
新年にふさわしいといえるでしょう。
今年収穫された稲穂と榊葉をもちいて「五穀豊穣の稲穂飾り」を製作しました。
重たげに穂を垂れる稲を一本一本清めていくと
どこか懐かしいような稲藁の香りに包まれ
幼い日に父の田舎で嗅いだお米の収穫の風景が浮かんできます。
パンやスパゲッティなどが食卓に並ぶようになり
子供の頃のように毎日食することのなくなったお米ですが、
旅先の車中からながめる田んぼの風景は、いつも私の心を和ませてくれます。
爽やかな五月の風に揺れる水面の早苗
天に向かってに伸びゆく初夏の若草
重たげに穂を垂れ実りにさえずる雀たち
そして、収穫の後の静まり返った田の風景
季節とともに変わりゆくその景色に触れるたび、
自然の摂理がかくも正しく循環しているように感じ心は安堵するのでしょう。
日本の原風景といえる稲田は、これからどうなっていくのでしょうか。
できることならば、
未来の子供たちともこの感慨を共有したいものと願います・・・。