日本の香りと室礼

目次

その参「飾る」

九月九日(重陽・ちょうよう)

「聖観音兎の十五夜飾り」

秋の日の澄んだ夜空に輝く月をいつくしみ、
可愛らしい十五夜飾りをつくりましょう。
夜ごとに姿を変えていく月の不思議は、人々に様々な思いを抱かせます。
聖観音に姿を変えて現れた月兎、
手には穢れを祓う望月の薬玉をもたせました。

「聖観音兎の十五夜飾り」
「聖観音兎の十五夜飾り」
「桧三宝」「聖観音兎」「黒米・薩摩芋・柿・霊子・銀杏」
~石山寺の観月会~

まだまだ初秋とは名ばかりの九月十二日、十六夜(いざよい)の良き日、
私たちは数日前に発生した台風の雲の流れを気にしつつ、
滋賀県大津の石山寺でおこなわれる観月会へとむかいました。
早朝に東京を出発し新幹線で米原へ到着、
近江を代表する料亭「招福楼」にて秋の会席料理をいただきます。

シットリとした老舗のたたずまいと、素材を生かしたお料理そして器の美しさ、
京都に近いこの地は日本の東西の中間点として
古来より権力者の集う場所であっただけに、洗練されたもてなしを受けることができました。

食後、琵琶湖から流れ出す水郷のひとつ“豊年橋”から、
織田信長も楽しんだと伝えられる水郷巡りへと出かけましょう。

いまから四百年前、
豊臣秀次が宮中の舟遊びに似せてはじめたこの優雅な船下りは、
自生する葦の群生を保護するために、
今でも船頭さんによる手こぎ船にこだわっています。
キーコーキーコーという棹の音と共に、
飛来した野鳥や薄紫のホテイアオイの花が目を楽しませてくれることでしょう。
ベェネチアのゴンドラに乗ったときにも感じた
手漕ぎならではの水との一体感がなんとも心地よく
心と身体が和んでゆくのを感じます。
かれこれ一時間半あまりの水郷巡りを終えると
少しずつ空が黄昏てきたようです。
それでは、そろそろ石山寺のお月見へとむかいましょうか。

琵琶湖の湖南に位置する石山寺は、
747年に聖武天皇の勅願により創建された歴史ある寺院です。
京の都に近く川のほとりの風光明媚な地に建てられたこの寺には、
本尊である如意輪観世音菩薩の霊験を求めて
天皇はじめ多くの貴族らが訪れました。
また、紫式部を初めとする多くの女性達に愛されたことでも有名で、
石山寺の創建と観音様の霊験を絵と詞で記述した
「石山寺縁起絵巻/七巻」(重要文化財)には数々の逸話がしるされています。

「石山寺縁起絵巻」 第七巻第三十一段
「石山寺縁起絵巻」 第七巻第三十一段
母を助けるため身売りした娘が嵐に遭い船が転覆するも一心に石山寺観音を念じると白馬が現れ娘を助けたという

近年、中秋の名月にあわせた九月の三日間、
石山寺では観月会が催されています。
夕刻六時に開かれた門をはいると
境内全体は葦を原料として作られた和紙の風除けに包まれたロウソクが
千五百本も並べられ優しく足元を照らしていました。
今宵の月の出は七時半との事、
しばし本堂で催されている二胡の演奏に耳を傾けながら、
本尊である“如意輪観音”の霊験を求めた女性達をふりかえってみることにしましょう。

紫式部『源氏物語』
「紫式部」部分 土佐光起画 石山寺蔵「紫式部」部分 土佐光起画 石山寺蔵

十一世紀初頭、村上天皇の皇女選子内親王に、
まだ読んだことにない物語をと所望された紫式部は、
構想の願いを込めて七日の間この石山寺に参籠されました。
折しも十五夜の月明かりが琵琶湖を美しく照らし出しています。
うっとりと月明りを浴びながら満月を眺めるうち、
脳裏にある文章が浮かび上がってくるのでした。

「紫式部石山寺観月図」部分 土佐光起筆(江戸時代)「紫式部石山寺観月図」部分 土佐光起筆(江戸時代)
『・・・今宵は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊恋ひしく・・・』
~十五夜の美しい月を眺める光源氏が、京の都での月夜の管弦遊びを恋しく思う~

この一節は、後に「源氏物語」の「須磨の巻」に生かされることになるのですが、
不意のことに紙の用意がなかった紫式部は、
手近にあった大般若経の裏にその一節を書きとどめたと伝えられます。
こうして石山寺の月夜の美しさに発想を得て誕生した「源氏物語」は、
平安の宮中人を夢中にさせ、現代にいたるまで多くの人々を魅了し続けているのです。

藤原道綱の母 『蜻蛉日記』

紫式部が石山寺に参籠する以前の970年7月、
「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母も京より石山寺に赴いています。
たいへん美しく才媛といわれた彼女ですが、
夫である藤原兼家の多くの女性関係に悩まされ続けていました。
愛の葛藤に疲れ果て観音様へ救いを求めて観音堂にこもります。
するとウトウトとした夢の中に寺の別当とおぼしき法師が現れ、
自分の右ひざにザブリと水を注ぎかけるのでした。
ハッと目覚めた彼女は、この夢を“情念の炎を消しなさい”
という観音のお告げと解釈します。
不思議と乱れた心は静まり、十日の予定を三日に繰り上げ都へと帰り着くのでした。

菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ) 『更級日記』

「更級日記」は、幼いころから夢見る文学少女だった女性の
少女時代から老境に至るまでの四十年を回想して綴られた自叙伝です。
「源氏物語」に深く心酔していた彼女は、
1045年、憧れの石山寺へと詣でるのでした。
夕刻まどろんでいると夢の中に麝香を手渡す者があらわれ早く御堂で焚くよう促します。
その後、何とも心地よく目覚めた彼女はこの夢を観音様の霊験ととらえ、
帰郷した折には祈願したことが続いて現実のこととなり非常に喜ぶのでした。
その他に「枕草子」を執筆した清少納言や「和泉式部日記」の和泉式部など
おおくの女流文人が石山寺におもむき参籠を果たしたと伝えられます。

さあ、あたりの暗さが増すと共に、
ロウソクの炎のゆらめきが一層美しく感じられてきました。
もともと岩山だったこの寺は、他にはない独特の景観をもっています。
琵琶湖から流れ下流は宇治へと続く寺院の瀬田川沿いには、
岩に木の柱を打ちつけて建てられた月見台「月見亭」がありますので、
そちらへと足を運んで輝く月の光を浴びることにしましょう。
毎年必ず巡りくる十五夜ですが、
今宵は紫式部はじめとする女性文人たちへと思いを馳せて、
いつもとは違う趣のお月見となりました。

追記

2016年
本年は滋賀県琵琶湖の湖南に位置する
石山寺のご本尊である如意輪観世音菩薩 御開扉の年を迎えました。

三十三年に一度しかお会いできない秘仏ですので
どうぞ滋賀方面へとお出かけの際にはお立ち寄りください。
京都からも近くJRで十五分ほどで石山駅につき
そこからタクシーまたは私鉄でほどなく寺院へと赴けることでしょう。

私は先週末急遽、石山寺参拝を済ませてきましたので
その様子もご報告させていただきます。

石山寺の門前です。
五色の旗が飾られなんとなくワクワクと気持ちが浮き立ちますね。
さあ十年ぶりの石山寺詣。
早速、観音様にお会いしに本堂へと向かいましょう。

石山寺本堂(国宝)石山寺本堂(国宝)

ご本尊である如意輪観世音菩薩は、
平安時代後期の作で約五メートルもある大きな仏様です。
薄暗い本堂に鎮座されたそのお姿は、
ふっくらとした優しい面差しながらも威厳に満ちておりました。

石山寺パンフレットより石山寺パンフレットより

観音様の御手には五色の紐が結ばれており、
その端は参拝者の近くへとつながり誰もが触れることができます。

聖武天皇はじめ多くの貴族たちが
観音様の霊験を求めまた、極楽浄土を願い
こうして同じように観音様の御紐を握られたことでしょう。

いつも眺めるだけしかできない観音様の御手にフッと触れたように感じられ
何ともありがたく手を合わせるのでした。

それでは次に、
小高い岩山である寺院の散策へとむかいましょうか。

緑多い寺院には萩の花が咲き誇り、秋の訪れを感じさせます。

岩の上に杭を打ち建てられた月見台岩の上に杭を打ち建てられた月見台

以前訪れた時は観月会の夜でしたので
闇夜のなか蝋燭の揺れるあかりを頼りに月見台へと足を運びました。
月見台の下方に流れる瀬田川の上に大きな満月が輝いて
その月光が水面にまでゆらゆらと写しだされ
それは幻想的に感じたものです。

時を経てふたたび訪れることのできた幸せに感謝するとともに
坂道がこんなに辛かったかしらとも感じ、
年を重ねたことの現実も実感する旅となりました。

古代から祖霊信仰の霊場として栄え、
聖徳太子や最澄・空海により開山された歴史ある古寺が存在する琵琶湖畔。
現在寺院の数は京都を上回って日本一を誇り、
また観音菩薩像を本尊とする寺が群を抜いていることも近江霊場の特徴でしょう。

観音信仰は平安時代から女流文学者の信仰を集め
紫式部や清少納言をはじめ多くの女性たちの心をひきつけてきました。

私も文章を書く者として霊験あらたかな石山寺・如意輪観世音菩薩様に
お会いできたことを励みに、これからも勉強を続けて行きたいと思います。

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