日本の香りと室礼

目次

その四「清める」

「蝉の訶梨勒(かりろく)」

「蝉の訶梨勒」
「蝉の訶梨勒」
正倉院裂「天平華紋」川島織物・打紐・訶梨勒の実・白檀・甘松・丁子・貝香・乳香・龍脳
六弁の唐花に四弁の副紋を配した正倉院に伝わる文様裂をもちい、吉祥文様でもある蝉をかたどった装飾掛香を仕立てます。中には訶梨勒の実と伝統的な香料を調合しておさめました。複雑に絡み合うそれぞれの香りは、やがてひとつの完成された芳香を放ち室内を清浄へとみちびくことでしょう。

その昔、幻といわれた訶梨勒の実は、
スッとしたニッキのような芳香をそなえていますが、
香料としてだけでなく薬としての価値も高いものでした。
光明皇后が亡き夫・聖武天皇の冥福を願い
正倉院におさめた数々の御物の中にもその名は記載されており、
平安時代栄華を謳歌した藤原道長も服用したと伝えられる訶梨勒は
「一切風病の治療薬」として万病に処方されました。

霊験高いカリロクの実は、やがて袋におさめられ御簾や柱に掛けられるようになります。
また、その形を象牙や石でかたどり飾ることで邪気が祓われるとされ、
室町の時代をむかえると美しい白緞子や白綾などで仕立てた
華やかな掛け香“訶梨勒”が製作されるようになっていくのでした。

袋の中に納める実は十二個で”うるう年”には十三個とするのが習わしで、
五色に染められた組紐をスッと長く垂らしたなんとも雅なこの掛け香は
茶席びらきや祝い事などの折に床柱や書院に飾られ、
その神秘的な馥郁たる芳香をはなって場を清め、
集う人々の心身までを浄化していくのでした。

「訶梨勒の実」
「訶梨勒の実」
和名/訶梨勒(カリロク)・英名/Mylobalan(ミロバラン)・学名/Turmeric Chucumba
シクンシ科の落葉高木樹 原産地 インド・ミャンマー
ナツメのような楕円形の実は、ピリッと鼻の奥を心地よく刺激する甘い香りが漂います。
~訶梨勒丸(かりろくがん)~

現存する日本最古の医書として国宝に指定されている「医心方(いしんぼう)」は、
平安時代の宮中医官 ”丹波康頼(たんばのやすより)”が
中国隋・唐代の百数十にもおよぶ文献を引用してまとめあげ、
982年朝廷へと献上した全三十巻の医学全書です。
その記載のなかに「呵梨勒丸(かりろくがん)」(※医心方にはこの文字があてがわれています)
という薬名がでてきますのでご紹介しましょう。

「全訳精解 医心方」 全三十三冊 槇佐知子翻訳 筑摩書房「全訳精解 医心方」
全三十三冊 槇佐知子翻訳 筑摩書房

インドの神様・帝釈天(たいしゃくてん)の処方と伝えられるこの秘薬は、
“一切風病(いっさいふうびょう)の治療薬”として
カリロクの果皮に人参や大黄・桂心など十三種類の生薬をあわせ
蜂蜜で練って丸薬としたものです。
“風病”というのは神経や臓器に様々な病をひきおこす万病のことで、
すきま風のようにスッと人間の身体に邪気を送りこみ、
頭痛・発熱・脚気や中風などをひきおこすため
「風は百病の長なり、その変化するに至って他病となる」と恐れられました。
この処方のカリロクの分量がとくに勝っているわけではないのに
薬の名称とされている事から、
この実がいかに珍重されていたかがわかるでしょう。

この本にはまた、麝香などの香料を調合した匂袋で鬼を避ける方や、
妖怪や毒虫・虎を遠ざける方、
修行者が薫りたかい調合香を服用して体臭を芳しくし修行の妨げとなる欲望をたちきる方など、
たいへん興味深い方術も記されています。

奈良時代、身体が弱かったと伝えられる聖武天皇を気遣い、
朝廷には様々な妙薬が集められました。
天皇崩御後、皇后によってそれらは東大寺正倉院へと納められましたが、
宝物目録のひとつ「種々薬帳(しゅじゅやくちょう)」には
そうした異国から渡来した植物・動物・鉱物などの香薬が一巻にまとめて記されています。

「東大寺献物帳」のなかの一巻「種々薬帳」部分
「種々薬帳」部分
正倉院に納められた六十種類の薬物名とその数量および質量などが記載されている。「東大寺献物帳」のなかの一巻

この薬帳を見ると判るように
仏教伝来にともない神聖な儀式に不可欠なものとして渡来した
沈香・白檀・丁子・桂皮などのさまざまな香料は、
生きるうえでなによりも大切とされた薬と同様に管理されてきました。
なぜならば、神々がことのほか愛する香料植物には
人知の及ばない不思議な力が宿っており、
それらは人の病をも癒すと考えられていたからです。
天平時代の香料は、生薬としての役割も高く大変に貴重なものだったといえるでしょう。

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