日本の香りと室礼

目次

その四「清める」

「香時計」

お香の燃焼速度というのは、以外に正確だということをご存知でしょうか。
一定の速度で燃焼する香の性質を利用したこの香時計は、
中国で誕生しやがて日本へと伝えられました。
平安時代、宮廷には自然科学や自然哲学を担当する“陰陽寮”という部署があり、
この部署の管理のもとで撞かれる“時の鐘”の音を合図に、
都中の寺社にある香時計がいっせいに点火され時間を計っていました。

「時香盤」もしくは「常香盤」ともいわれるこの香時計使用の歴史は長く、
江戸時代から明治期まで広く使われました。
大名家の収蔵品などに木製の香時計が保存されているのを
見たことがある方もいらっしゃることでしょう。
時の移り変わりを豊かな香りをはなつお香で測る、
なんとも優雅な計測法といえるでしょう。

~比叡山・延暦寺の常香盤~

幼い頃より仏教を学び、
十八歳にして年に十名ほどしか授かることのできない
東大寺の受戒を授かった僧侶“最澄”は、
さらなる修行の場を大寺院ではなく故郷の比叡山に求めました。
785年、京都と滋賀県の県境にあるこの深い山中に草庵を結んだ最澄は、
厳しい修行の末に霊木で自ら薬師如来像を刻んで本尊とし、
後に根本中堂(こんぽんちゅうどう)となる
一乗止観院(いちじょうしかんいん)を建立します。

「比叡山延暦寺・不滅の法灯」 比叡山振興会議パンフレットより「比叡山延暦寺・不滅の法灯」 比叡山振興会議パンフレットより

そしてこの秘仏が祀られている延暦寺の総本堂(根本中堂)には、
最澄自らがおこし本尊へと捧げた灯火が、
開祖以来、千二百年もの長きにわたり灯され続け
『不滅の法灯』よばれ今日まで受け継がれているのです。
そして万が一この法灯が消えてしまったときの備えとして
延暦寺で焚かれ続けているのが「常香盤」のお香なのです。

正方形の木製の香炉には平に整えられた灰がおさめられ、
綺麗な卍型の溝が刻まれています。
この溝には白檀の薫り高き“黄抹香”が埋め込まれ、
絶えることなく淡く白い煙とともに堂内へと芳香を放っているのです。

比叡山延暦寺のお堂に置かれた常香盤比叡山延暦寺のお堂に置かれた常香盤
溝に埋められた黄抹香(白檀香)溝に埋められた
黄抹香(白檀香)

かねてから足を運びたいと考えていた
比叡山延暦寺へと訪れる時がようやく巡ってきました。
古来より京都の鬼門にあたる
東北を守護する霊峰としてあがめられてきた比叡山へは、
京都駅から一時間ほどのバスの旅となりますが、
坂を上るその道程は眼下の琵琶湖の美しさもあいまって
じつに心地良いものでした。
しかしやがて標高が高くなるにつれて、
杉木立が高くそびえる深山静寂の様相が濃くなっていきます。

天台宗の総本山でもある比叡山は、
法然・親鸞・道元・日蓮など数々の名僧を輩出したことでも有名で、
次第に聖域へ足を踏み入れる緊張感につつまれていきます。
東塔に到着したバスを降りると、
なんともすがすがしい山独特の冷気に包まれます。

それでは、さっそく国宝である根本中堂へとむかうことにしましょう。
入り口を入ると、左右には円柱の連なった長い回廊があり、
参拝者は左より進んで堂内へとはいります。
そして中陣より低い位置にある内陣を覗き込むようにして礼拝するのですが、
そうすると内陣に祀られている薬師如来像が参拝者と同じ目線にくることになります。
初めて体験するこのような形式に驚きましたが、
これは“仏も人もひとつ”という仏教の教えから来ている
天台様式の造作との説明を受けました。
しかしながら、今まで見上げるようにして拝んでいた本尊が
自分の足よりも下に祀られていることがなんとも申し訳なく感じられてしまいます。

比叡山延暦寺・国宝根本中堂比叡山延暦寺・国宝根本中堂

本尊の前にある三つの釣燈篭には、
オレンジ色の光を放つ“不滅の法灯”がユラユラと優しく灯っており、
また大師が入寂して以来保たれているという
常香盤の白檀の香りが静かに堂内を包みこんでいるのでした。

私が訪れたのは、秋も終わりに近づく頃で寒々とした静かな日でした
堂内の床には親切にホットカーペットが引かれ、
人がある程度集まると穏やかな表情の僧侶の方からの説法が始まります。
大師様みずから彫られたという本尊を前に、
ひんやりとした薄暗いお堂できくお話は、
ことのほかありがたく感じられるのでした。

以前、ある僧侶の方に仏門に入られた訳をお聞きしたことがあります。
その方は「意味は何もないのです。導かれたのでしょう。」
とだけお話くださいましたが、
人は自分の思いと関わりなく見えない力によって
道を定められることがあるのでしょう・・・。

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